喜田村正次(読み)キタムラ ショウジ

20世紀日本人名事典 「喜田村正次」の解説

喜田村 正次
キタムラ ショウジ

昭和期の公衆衛生学者 神戸大学名誉教授。



生年
大正4(1915)年8月21日

没年
平成15(2003)年1月3日

出生地
京都府

学歴〔年〕
京都帝大医学部〔昭和15年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
保健文化賞(第31回)〔昭和54年〕,勲三等旭日中綬章〔平成1年〕

経歴
昭和24年京都大学助教授、29年熊本大学教授、35年神戸医科大学教授、40年神戸大学教授、54年神戸学院大学教授を歴任。熊本大教授時代に水俣病研究班に加わり、疫学調査、原因究明などの研究に従事。水俣病をめぐる裁判では患者側の証人として法廷に立ち、発病の仕組みを説明して注目された。のち新潟水俣病研究班、イタイイタイ病調査にも携わり、自らカドミウムを飲む実験をして話題になった。著書に「水銀」「水俣病」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜田村正次」の解説

喜田村正次 きたむら-しょうじ

1915-2003 昭和-平成時代の公衆衛生学者。
大正4年8月21日生まれ。昭和29年熊本大教授,35年神戸医大(現神戸大)教授となり,54年神戸学院大教授。熊本大では水俣病を研究し,アセトアルデヒドの製造工程で病気の原因物質のメチル水銀が副生することを証明した。イタイイタイ病の調査にもかかわる。平成15年1月3日死去。87歳。京都出身。京都帝大卒。著作に「水銀」(共著)など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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