イタイイタイ病(読み)いたいいたいびょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イタイイタイ病」の意味・わかりやすい解説

イタイイタイ病
いたいいたいびょう

富山平野の中央を貫く神通(じんづう)川両岸の一定地域に居住する40歳以上の農村女性、とくに多産婦に多発した疾病。初めは風土病と考えられていたが、1955年(昭和30)に発見者である地元の開業医萩野昇(はぎののぼる)と、協力者である東京の整形外科医河野稔(こうのみのる)によって初めて学会に共同発表されてから約10年後、カドミウムの体内蓄積が発病基盤になっていることが明らかにされ、わが国の代表的な公害病として知られるようになった。

 症状は腰痛、背痛から始まり、しだいに股関節(こかんせつ)の痛みのため臀部(でんぶ)を振ってアヒルのような歩き方をするようになり、やがて歩行不能となる。また、ぶつかったり転んでも容易に四肢骨や肋骨(ろっこつ)に骨折をおこし、たび重なるとタコの足のように四肢が屈曲してしまう。体位を変えたり、談笑や咳(せき)などによっても全身に痛みがくるようになると、昼夜を問わず「いたい、いたい」と訴え続け、ついには栄養失調やその他の合併症で死亡する。なお、骨の変化のほかに腎臓(じんぞう)の尿細管の機能も冒され、尿中にタンパク、糖、カルシウムが増加する。骨折しやすい理由の一つにカルシウムの体外排出が考えられ、多産婦に多発したのも、妊娠中にカルシウムが胎児に多く奪われることが誘因とみられている。

 原因としては、患者の尿中にカドミウム量が異常に多いこと、神通川流域の水田土壌中のカドミウム量が他の河川流域に比べて明らかに高いこと、発生が神通川流域の一定地域に限られており、それが水田中のカドミウム濃度とよく一致すること、患者の発生地区では骨症状を呈していないが尿にタンパクや糖が出ている者が高率にみいだされており、これが産業現場でみられるカドミウム中毒の症状と一致することなどから、カドミウムがイタイイタイ病の基盤にあることが明白になった。その汚染源が、神通川上流の神岡にある亜鉛・鉛鉱山(三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所)からの廃水であることも突き止められた。すなわち、廃水中のカドミウムが川や土地を汚染し、飲料水や米に混入して人体内に入り、発病まで20~30年間にわたってカドミウムが体内に蓄積されるわけである。しかし、発病にはカドミウムのほかに、栄養、労働、生活その他の環境条件が加わったと考えるのが妥当であろう。

 患者数については、1969年(昭和44)制定の「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」およびこれを引き継いだ1973年制定の「公害健康被害補償法」によって認定された患者数は194人(うち死亡者188人)となっている(2008年4月末現在)。それ以前の患者については実態がよく把握されておらず、第二次世界大戦後よりこの時期までに女性のみで100人近い死亡者が出たものと推定されている。

[重田定義]

『萩野昇著『イタイイタイ病との闘い』(1968・朝日新聞社)』『吉岡金市著『イタイイタイ病研究』(1970・たたら書房)』『イタイイタイ病訴訟弁護団編『イタイイタイ病裁判1~6』(1971~74・文一総合出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イタイイタイ病」の意味・わかりやすい解説

イタイイタイ病
イタイイタイびょう

1956~57年頃をピークにして富山県,神通川流域に発生した公害病。激痛や病的骨折に襲われて運動不能状態となり,さらに進行すると死にいたる。特に中年の多産婦に多くみられた。 1967年岡山大学教授の小林純は地元の医師萩野昇との共同調査の結果として,三井金属鉱業神岡鉱業所の廃水によるカドミウムの慢性中毒症と発表。次いで 1968年5月厚生省も同一見解を発表し,公害病として認定された。ただし,カドミウム単独中毒説は疑問視されている。被害者中 31人は 1968年1月三井金属鉱業を相手に損害賠償請求の訴えを起こし,1971年富山地裁は三井側に 5700万円の支払いを命じた。また,1972年8月の第1次控訴審でも患者側が勝訴し,訴訟は事実上終結した。なお,この裁判は四日市喘息,新潟水俣病 (→阿賀野川水銀事件 ) ,熊本水俣病の裁判とともに四大公害裁判といわれ,ことに四日市公害訴訟とイタイイタイ病訴訟の判決は,公害裁判上画期的なものであり,その後のこの種の裁判に大きな影響を与えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報