嘉納 履正
カノウ リセイ
昭和期の柔道家 元・講道館館長。
- 生年
- 明治33(1900)年11月25日
- 没年
- 昭和61(1986)年1月13日
- 出生地
- 東京都
- 学歴〔年〕
- 国学院大学国文学科〔大正12年〕卒
- 経歴
- 嘉納治五郎の次男で、昭和21年第3代講道館館長に就任。24年全日本柔道連盟設立と同時に初代会長。26年には欧州を回って、海外での柔道熱の盛んなのを知り、欧州柔道連盟などの協力で翌年国際柔道連盟(IJF)を設立、その初代会長に推された。アジア柔道連盟、全日本学生柔道連盟の各会長も兼ね、31年には第1回世界柔道選手権の東京開催に尽力した。また柔道の五輪参加を呼びかけ、35年の国際オリンピック委員会総会で正式競技として採用が決定、東京五輪(39年)で実現するなど、戦後の柔道発展に大きな功績を残した。著書に「伸びゆく柔道」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
嘉納履正
かのうりせい
[生]1900.11.25. 東京
[没]1986.1.13. 東京
講道館 3代目館長。嘉納治五郎の二男。國學院大學卒業。 1946年2代目館長南郷次郎のあとをうけて館長となる。 1949年全日本柔道連盟を創立し初代会長に就任。 1952年国際柔道連盟の結成とともにその初代会長,1965年退任し名誉会長に推薦された。第2次世界大戦後の柔道の再建と国際化に果たした役割は大きい。主著『伸び行く柔道』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
嘉納履正 かのう-りせい
1900-1986 昭和時代の柔道家。
明治33年11月25日生まれ。嘉納治五郎の次男。昭和21年講道館3代館長。24年全日本柔道連盟初代会長。27年国際柔道連盟初代会長。31年の第1回世界柔道選手権の東京開催や39年の東京五輪での柔道の正式種目採用を実現させた。昭和61年1月13日死去。85歳。東京出身。国学院大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
嘉納 履正 (かのう りせい)
生年月日:1900年11月25日
昭和時代の柔道家。講道館館長;国際柔道連盟(IJF)初代会長
1986年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の嘉納履正の言及
【柔道】より
… 海外における柔道熱も第2次大戦後盛んになり,1948年にヨーロッパ柔道連盟が結成された。52年には国際柔道連盟International Judo Federation(IJF)が正式に発足し,初代会長に講道館長嘉納履正(りせい)が推された。そして第1回世界選手権大会が56年に東京で行われるなど,国際的な組織のもとに柔道の世界的普及発展が図られるようになった。…
※「嘉納履正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」