四ッ屋新田(読み)よつやしんでん

日本歴史地名大系 「四ッ屋新田」の解説

四ッ屋新田
よつやしんでん

[現在地名]頸城村北四ッ屋新田きたよつやしんでん

保倉ほくら川・かた川・中江なかえ用水で囲まれる三角地帯のほぼ中央に位置し、北西浮島うきしま新田がある。正保元年(一六四四)に開発のなったおおぶけ新田のうち。正保国絵図によれば高二四三石余。明暦元年(一六五五)中谷内なかやち新田の開発がなった時にも高三八石三斗余が開かれ、延宝六年(一六七八)大潟おおがた新田の開発がなった時にも高八石一斗余が開かれている。

四ッ屋新田
よつやしんでん

[現在地名]板倉町南四ッ屋新田みなみよつやしんでん

西は福田ふくだ新田、北東に四ッ屋村(現上越市)があり、文政三年(一八二〇)の頸城郡細見絵図によれば、南東今曾根いまぞね(現清里村)南西戸狩とがり村への道がある。

四ッ屋新田
よつやしんでん

[現在地名]妙高村東四ッ屋新田ひがしよつやしんでん

せき川左岸を南西から北東に並行して走る二本の道の中間にあり、南東は葎生もぐろう村、北西に花房はなぶさ村がある。天和三年郷帳に高八七石二斗余、うち野高三斗三升六合とある。

四ッ屋新田
よつやしんでん

正保三年(一六四六)から明暦元年(一六五五)にかけて行われた中谷内なかやち新田開発によって成立した村。開発高は三八石三斗余(平石家文書)。天和三年郷帳には「四ツ屋新田」とみえ高は同じ。さらに寛文元年(一六六一)から延宝六年(一六七八)にかけて行われた大潟新田開発によって八石一斗余が開発され(笠原家文書)、この分は天和三年郷帳に四ッ屋新田とみえ、同高が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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