日本大百科全書(ニッポニカ) 「大潟」の意味・わかりやすい解説
大潟
おおがた
新潟県南西部、中頸城郡(なかくびきぐん)にあった旧町名(大潟町(まち))。現在は、上越(じょうえつ)市の北西部を占める一地区。1957年(昭和32)潟町(かたまち)町として町制施行。同日大潟町と改称。2005年(平成17)安塚(やすづか)町、柿崎(かきざき)町、吉川(よしかわ)町、板倉(いたくら)町、名立(なだち)町、浦川原(うらがわら)村、大島(おおしま)村、牧(まき)村、頸城(くびき)村、中郷(なかごう)村、清里(きよさと)村、三和(さんわ)村とともに上越市に編入。旧町域は、日本海岸の頸城砂丘上にあり、JR信越本線、北越急行ほくほく線、国道8号が通じる。近世は北国街道(ほっこくかいどう)に沿う半農半漁の浜漁村で砂丘畑の野菜作りで知られたが、1958年ごろから帝国石油(現、国際石油開発帝石)の頸城油・ガス田の開発で、一躍石油の町としてにぎわった。原油生産は1964年にピークを迎えたがその後生産量は減退し、海岸線や内陸部に採油装置が数十坑みられる程度となった。直江津(なおえつ)港の築港や、上越臨海工業地域の発展と北陸自動車道の開発で、新興住宅地や工場地に変わった。鵜ノ浜温泉(うのはまおんせん)や海水浴場などがある。
[山崎久雄]
大潟(村)
おおがた
秋田県中西部、南秋田郡にある村。八郎潟(はちろうがた)の中央干拓地造成の結果誕生した自治体である。1957年(昭和32)八郎潟干拓事業所が置かれ、国の直轄事業として干拓化が進み、1964年に大潟村が発足した。村名は八郎潟の古称大方(おおがた)からとった。1965年に第一次入植農家56戸が入村、最終となった1978年までの入植で全農家数589戸(2015年現在491戸)となる。入植者の出身地は全国に及ぶが、秋田県出身者がほぼ半数である。1戸当りの耕地面積は15ヘクタール。6戸90ヘクタールを単位とし、トラクター、大型コンバインなどを共同利用、カントリーエレベーター(農産物乾燥調整貯蔵施設)は村全体で利用するなど効率の高い営農を行っている。米作のほか、小麦、大豆なども生産する。村はゼロメートル地帯で、マイナス4メートルの所もある。1973年に県立農業短期大学(現、秋田県立大学大潟キャンパス)が設立された。面積170.11平方キロメートル。人口3011(2020)。
[宮崎禮次郎]