四堂崎の経塚
しどうざきのきようづか
[現在地名]甲佐町早川
「国誌」では、糸田村内の阿弥陀三尊と古墳墓がある地点を四堂崎とよび、養生院跡としている。「拾集昔語」によればその四堂崎辺りはもともと川筋で、寺跡の称号も伝わっていず、北早川村の養寿院の地続きの境内であろうと記している。宝暦四年(一七五四)の便覧(「甲佐町史」所収)では津志田村住みの浪人が四体の阿弥陀如来を造り、最初に養寿院の馬場脇に、次いで津志田村の氏神、三番目に甘木村(現御船町)の長安寺に、四番目に陣村(現御船町)の近見に堂を建て祀った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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