日本歴史地名大系 「四手村」の解説 四手村しでむら 高知県:幡多郡十和村四手村[現在地名]十和村昭和(しようわ)轟(とどろ)村の西方、大又(おおまた)山(六三三メートル)の南麓、四万十(しまんと)川北岸に位置し、上山(かみやま)郷下分(しもぶん)の一村。「土佐州郡志」は「東限市野坂、西限白岩、南限大井川、北限窪川、東西五十町南北四十町、戸凡三十、其土赤黒」と記す。地名は慶長二年(一五九七)上山郷地検帳の「是ヨリ大井川村」と記されたなかにみえ、同帳の記載様式からみると当時の大井川(おおいがわ)村を構成する一村であったようである。元禄郷帳の明治大学刑事博物館本によると本田高一四〇石余であるが、東大史料編纂所本の一〇四石余が事実であろう。寛保郷帳によれば家数四一、人数二四七、馬一六、牛六、猟銃一一。「土佐州郡志」は産物に茶と楮をあげる。 四手村しでむら 滋賀県:犬上郡多賀町四手村[現在地名]多賀町四手多賀大社の南東にあたり、東に鈴鹿の山々が迫る。慶長高辻帳に村名があり、高四〇九石余、うち小物成三石余。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一二八・女一三六、寺社方男二・女二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by