日本歴史地名大系 「四阿屋神社」の解説
四阿屋神社
あずまやじんじや
授
従五位
下歟破失 延喜廿年十一月 日下」とあり、延喜二〇年(九二〇)には、すでに東屋明神という名でこの社が存在していたことがわかる。養父郡一円に信仰されていた古社に、八幡信仰を唱導してきた天台の徒が熱田明神を勧請し、それに住吉・志賀の二神を配して三社構成をとったのではないかと考えられ、のち修験道を加えて東屋六所権現として独自の成長を遂げたとみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報