因伯一揆(読み)いんぱくいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「因伯一揆」の意味・わかりやすい解説

因伯一揆
いんぱくいっき

1739年(元文4)2月に鳥取藩池田氏因幡(いなば)、伯耆(ほうき)両国にわたり発生した惣百姓(そうびゃくしょう)一揆。鳥取元文(げんぶん)一揆ともいう。指導者の名を冠し勘右衛門(かんえもん)騒動ともよぶ。一揆の原因は、前年の凶作にもかかわらず請免(うけめん)制(定免(じょうめん)制)を維持し破免しなかった収奪強化にある。一揆は年貢軽減、五歩借上米の返還なども求め、因幡、伯耆の両方から鳥取城下強訴(ごうそ)した。最盛時の参加人員5万人という典型的な全藩強訴である。一揆は要求の一部を認めさせて一時収まるが、3月末に伯耆国で再発し、借銀10か年賦を要求し大庄屋(おおじょうや)などを打毀(うちこわ)した。このとき借金証文などを奪取している。一揆は年貢増徴の責任者郡代米村広当(よねむらひろまさ)を追放することに成功するが、19名が梟首(きょうしゅ)されるなどの犠牲も出した。鳥取藩は元禄(げんろく)期(1688~1704)の請免制の施行以来深刻な対立を生み出しており、1717年(享保2)、32年に両度の一揆が起こったほか、反米村派の家臣が存在し米村と対立していたが、この元文因伯一揆では上野忠親(うえのただちか)ら一部家臣と一揆指導部との間に連絡がとられていた。この一揆は、藩政動揺最高潮に達したことを象徴する事件であり、以後百姓一揆が続発したため、藩は宝暦(ほうれき)改革に着手せざるをえなくなった。

[保坂 智]

『『日本庶民生活史料集成 第6巻』(1968・三一書房)』

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