経済審議会の答申を基に、1960年(昭和35)12月池田勇人(はやと)内閣により閣議決定された経済政策の基本方針で、高度成長政策の基礎となった計画。1970年までの10年間に国民総生産を倍増させることを目標として年平均成長率を7.2%に設定し、積極的な財政金融政策による社会資本の拡充と大企業中心の投資配分計画、労働力流動化の促進、人的能力開発のための技術教育の推進に重点が置かれた。結果的には計画を上回る高成長が実現されたが、公害、物価上昇、格差の増大、社会保障の立ち後れなどのひずみを生んだ。また政治的には、日米安全保障条約改訂後の政治的緊張から国民の関心を転換させる役割を果たした。
[伊藤 悟]
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…日本では〈経済自立5ヵ年計画〉(1956‐60年度)以来,〈1980年代経済社会の展望と指針〉(1983‐90年度)にいたるまで10個の中期計画が作られている(1984年末現在)。なかでも池田勇人内閣の〈国民所得倍増計画〉(1961‐70年度),いわゆる所得倍増計画が有名である。現在の日本では,経済計画は首相の諮問に答える形で経済審議会が答申を作成し,内閣が閣議決定したものである。…
…また,新日米安全保障条約は,1月に調印され,5月には連日デモ隊が国会を包囲する騒然たる雰囲気のなかで,自由民主党によって衆議院で強行採決されて,6月には自然成立する。他方,7月には池田勇人内閣が発足し,12月に国民所得倍増計画を決定する。それらは,1950年代の〈政治の季節〉の終焉(しゆうえん)を告げ,60年代の〈経済の季節〉の到来を予告する象徴的な事件であった。…
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[全国総合開発計画]
国総法に基づく全国総合開発計画が閣議決定されたのは,1962年10月のことであった。この計画の策定に先だち,国総審は何度か準備作業を進めているが,本格的な策定作業に入ったのは国民所得倍増計画(1960年12月策定)が出されてからである。この計画は,計画実施上の留意点として,農業や中小企業の近代化,後進地域の開発促進,産業の適正配置の推進と公共投資の地域別配分の再検討等を掲げ,今後の経済成長のネックに社会資本の不足をあげている。…
※「国民所得倍増計画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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