日本大百科全書(ニッポニカ)「社会資本」の解説
社会資本
しゃかいしほん
social overhead capital
一般には公共的資本ストック(行政投資と政府企業投資の累積額)をさし、民間資本ストックと区別される。社会資本は社会的間接資本または社会的共通資本とよばれることもあるが、これは、社会資本が生産活動や消費活動などの経済活動一般の基礎となり、財・サービスの生産に間接的に貢献することを意味する。
社会資本は、大別すれば次の四つに分類することができる。
(2)生活基盤に関するもの――公園、上下水道、公営住宅、病院、学校、保育所、老人福祉施設など。
(3)国土保全に関するもの――治山・治水、海岸整備など。
(4)収益的事業に関するもの――国有林野事業、政府系金融機関などの資本。
なお、社会資本をもっと広義に解して、大気・河川・海水などの自然資本、司法・教育などの社会制度まで含めることがある。
社会資本の建設は、主として政府による公共投資によって行われる。したがって公共投資をいかなる目的に基づいて遂行するかは社会資本の構成や大きさという点から重要な問題となる。ケインズ経済学の登場によって、もっともよく知られるようになったのは景気対策としての公共投資である。それは、失業あるいはデフレ・ギャップを解消するために行われるものであって、投資と失業の関係を重視し、投資の内容には立ち入らない。この点はのちにJ・ロビンソンが、アメリカ経済学会における講演(1971年12月)のなかで「経済学の第二の危機」として指摘したところである。公共投資はまさにその配分の内容およびその質が問われるわけである。たとえば、日本では欧米諸国に比して、とくに生活基盤に関する社会資本がまだかなり立ち後れていることはしばしば指摘されるとおりである。それは、フローである国内総生産(GDP)や国民総所得(GNI)が諸外国に比してかなり高い水準にあるのと対照的である。近年、先進工業諸国にみられる「財政再建論」は、国防などを除いて「小さな政府」を目ざすものである。それは多額の公共投資にもかかわらず、失業の解消や景気の浮揚が成功せず、インフレーションだけが残るという経験から出てきた主張である。そして逆に、他方においては、内需拡大に必要だとして公共投資の増大策が打ち出されたりする。社会資本の建設は、そのような短期的視野からではなく長期的観点にたって行う必要がある。
ところで、民間資本は明確な動機(利潤動機)のもとに、市場機構を通して建設される。しかし社会資本は、民間企業にゆだねていたのでは、その供給がなされなかったり、不足したりするのであって、それゆえにこそ、政府の手にゆだねられるのである。だが政府の公共投資は、民間企業の場合と異なり、明確で客観的な基準のもとに遂行されるわけではない。また社会資本から生み出される財・サービスも、公共財としての性格をもつものが多く、民間財のように、受益者負担原則に基づいて、その利用者から料金を徴収することは困難である。したがってしばしば、それらの財・サービスはゼロまたは低廉な価格で供給されることになる。
社会資本は、それが大きくなればなるほど、その社会の構成員に(無償または低廉な価格で)大きな便益を与えてくれることになるのであるから、社会的厚生という見地からは望ましいものであるといえるかもしれない。だれもが利用できるスポーツ施設や文化施設などは人々の健康や文化的生活を維持・向上させることになるであろうし、また日本の高度経済成長は、鉄道・道路網の整備・拡充などの産業基盤に関する重点的な資本投下によって促進され、その成果は多くの人々によって享受されたのである。しかしながら、いま述べたように、それがいかなる経済主体に対してもゼロまたは低廉な価格でしか対価を求めない、というところに逆に大きな問題もはらんでいるといえるのである。そのことは一部には公害または環境破壊という形をとって現れる。たとえば道路について考えてみると、自動車保有者は道路を利用することにより多大の便益を享受する。しかも無償でそれが可能であるから、道路利用への誘因は大きい。その結果、車が道路にあふれ、道路は損壊し、騒音・振動・排気ガスなどにより自然資本をも破壊してしまう。逆にいうと、道路を歩いたり、清浄・閑静な自然にひたることによって便益を享受していた人たちから、その効用を一方的に奪うことになるのである。
企業による港湾・河川などの利用についても同様のことがいえる。企業はそこから得られるサービスに対して代価を払う必要はなく、それらを利用すればするほどその利益が大きくなることが考えられる(これを外部経済という)。そのことによって、河川などの汚濁・汚染が生じても、それを顧慮する必要はない。そうする誘因が存在しないのである。したがって、こうした環境破壊(社会資本の破壊)に対しては、なんらかの規準を設けて、企業なり消費者なりがそのことを考慮に入れざるをえなくなるような誘因を社会制度に組み込むことが望まれているといえよう。
[大塚勇一郎]
『都留重人著『公害の政治経済学』(1972・岩波書店)』▽『宮本憲一著『社会資本論』(1976・有斐閣)』▽『宇沢弘文著『自動車の社会的費用』(岩波新書)』▽『宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)』