国玉村(読み)くだまむら

日本歴史地名大系 「国玉村」の解説

国玉村
くだまむら

[現在地名]甲府市国玉町・里吉さとよし二丁目

にごり川を挟み里吉村の東にある。北を十郎じゆうろう川が西流して同川に注ぐ。対岸坂折さかおり村。若彦わかひこ路が村内を東進し、国玉明神(現玉諸神社)の前で南に折れる。村名は村内に鎮座する甲斐国三宮国玉明神が国御魂神を祀ることに由来し、当地は甲斐国山梨・巨摩八代の三郡の境界にあたるという(甲斐国志)。天正三年(一五七五)二月一四日の初鹿野伝右衛門尉(昌久)宛の武田家印判状(飯島綾子家文書)に国玉郷とみえ、同所定納九六貫三〇〇文などの地が重恩として与えられている。同四年八月二〇日には一蓮いちれん寺の常灯免田のうち国玉分一貫五〇〇文の田地の夫銭は従来どおり寺に納めるよう百姓に命じたことが同寺へ申渡されている。武田氏滅亡後の天正一〇年八月二七日、国玉のうち七〇貫文と同所手作前三〇貫文が初鹿野昌久に本領との言上により宛行われた(「徳川家康判物写」記録御用所本古文書)。一二月七日には国玉のうち一貫八二七文が山田次左衛門尉に(「徳川家印判状」網野末彦家文書)、国玉稲部分名田五貫文と屋敷一間が成島勘五郎(宗勝)(「徳川家印判状写」譜牒余録)、翌一一年一〇月二一日には国玉五貫文が岩間大蔵左衛門尉にそれぞれ本領ないし本給として安堵されている(「徳川家康印判状写」記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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