玉諸神社(読み)たまもろじんじや

日本歴史地名大系 「玉諸神社」の解説

玉諸神社
たまもろじんじや

[現在地名]甲府市国玉町

国玉くだま地区の北西、西流する十郎じゆうろう川支流御幸みゆき川北岸にある。祭神は国玉大神命。旧県社。江戸時代末までは国玉大明神と称され、甲斐国三宮とされる。当社由緒(社記)によれば、景行天皇の時代に日本武尊が東征のため甲斐に立寄った際、国中反乱静謐のために宝玉土中に埋納し、杉の一株を伐採して玉室杉と称し、祭場としたことに始まるという。社名の「玉諸」はこの神木に由来するとされる。「延喜式」神名帳記載の山梨郡「玉諸タマモロノ神社」を当社に比定する説があるがはっきりせず、否定する説が強い。「甲斐国志」では祭神を大己貴命とする。永万元年(一一六五)六月の神祇官諸社年貢注文(永万文書)に「甲斐国国玉社上六疋□□」とあり、当社が神祇官に年貢を納めたことがわかる。前掲由緒によれば、これより先の延暦一六年(七九七)桓武天皇より当社の由緒を調査したのちに同年八月に従五位下・勲一二等、同年一一月に従五位上を、また天長三年(八二六)一〇月には清和天皇より従三位を授けられた。貞観五年(八六三)八月には官幣を与えられて国中豊熟の祈願を行い、その秋が五穀豊饒であったことから勅願所となり、永万元年七月に六条天皇の即位にあたって馬一疋を献上したと伝える。そのため甲斐国司下向の折には必ず当社で国中安民の祈願が実施されたという。鎌倉期に入り、蒙古襲来時には後宇多天皇の命で当社でも外敵退散・撃退の祈祷が実施され、その功により正応二年(一二八九)に執権北条氏によって社殿造営がなされたという。


玉諸神社
たまもろじんじや

[現在地名]塩山市竹森

上竹森かみたけもりと下竹森の境近くにある。祭神は天羽明玉命。旧郷社。江戸時代末までは玉宮たまみや明神とよばれ、慶応四年(一八六八)提出の社記由緒書(社記)には玉諸神社・玉宮大明神が併記されている。社名の由来は神体が水晶玉石であることによるとされ、甲斐守護武田信重が当社に奉納したと伝えられる和歌にも「神垣にかゝやく玉の光りをそ身の行すえにかけて頼まん」「跡垂し神の恵ミも世にしるく玉の光りの数そそひゆく」とある(社記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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