国粋会(読み)こくすいかい

改訂新版 世界大百科事典 「国粋会」の意味・わかりやすい解説

国粋会 (こくすいかい)

第1次大戦後に多数成立した博徒,土建業者を主体とする右翼団体の一つで,最も有名なものである。正式には大日本国粋会という。大戦直後の労働争議頻発,社会主義の台頭といった事態を憂慮した関東の梅津勘兵衛,関西の西村伊三郎などの顔役たちによって1919年10月に設立された。〈我国古来の温情主義による労資間の美風良俗〉を守るべく,左翼運動を実力で粉砕しうる団体たることがめざされていた。設立にあたっては総裁には大木遠吉が,会長には磯部四郎が就任し,内務大臣床次(とこなみ)竹二郎,鈴木喜三郎,頭山満が名をつらねた。会の主たる活動は,〈調停〉の名目争議に介入し,これを鎮圧することにあり,それによって資本家から報酬を受けとるのが常であった。介入した争議のうち八幡製鉄所スト(1920)が最も有名である。そのほか,奈良県での水平社との対立抗争事件(1923)をはじめ,労働争議,小作争議などに暴力的に介入し,幾多の流血事件をひきおこした。関東,関西に本部を設け,一時は会員60万人を自称する勢いだったが,1922年会長磯部の後任に村野常右衛門が就任すると,関西,関東両派に分裂して以降は衰退に向かった。関西派は国粋会総本部を名のり,独立した関東派は関東国粋会を結成した。しかし分裂以降は,運動体としては一貫して低迷を続け,30年代の国家主義台頭の風潮にもうまくのりきれず,退勢を挽回しえなかった。35年の暴力団一斉検挙による打撃もあり,以後は自然消滅状態に陥る。ただし会の正式解散は46年の占領軍の解散指令による。
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