西村伊三郎(読み)ニシムラ イサブロウ

20世紀日本人名事典 「西村伊三郎」の解説

西村 伊三郎
ニシムラ イサブロウ

明治・大正期の俠客



生年
明治4年(1871年)

没年
大正9(1920)年1月15日

別名
通称=砂子川

経歴
京都伏見勢力を張る俠客。日露戦争に際して弾薬運搬の軍夫募集を任され、子分50人を率いる軍夫長として従軍。旅順攻撃などで功を立て、陸軍中将中山信儀から陸軍の山形胸章を一家代紋として使用することを許された。大正8年内務大臣床次竹二郎の要請を受けて東西の俠客を糾合し、無産政党や労働争議高揚に対抗するため大日本国粋会結成。しかし、会長の選出問題などで紛糾し、死後の11年には関東派が関東国粋会を旗揚げして組織は分裂した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村伊三郎」の解説

西村伊三郎 にしむら-いさぶろう

1871-1920 明治-大正時代侠客
明治4年生まれ。京都の伏見を縄張りとした。軍夫長として日露戦争に参加,その功で陸軍の山形胸章を一家の代紋とすることをゆるされる。大正8年内相床次(とこなみ)竹二郎の勧めで,東西の博徒によびかけて大日本国粋会の結成に力をつくした。大正9年1月15日死去。50歳。通称は砂子川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の西村伊三郎の言及

【国粋会】より

…正式には大日本国粋会という。大戦直後の労働争議の頻発,社会主義の台頭といった事態を憂慮した関東の梅津勘兵衛,関西の西村伊三郎などの顔役たちによって1919年10月に設立された。〈我国古来の温情主義による労資間の美風良俗〉を守るべく,左翼運動を実力で粉砕しうる団体たることがめざされていた。…

※「西村伊三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む