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磯部四郎 いそべ しろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

磯部四郎 いそべ-しろう

1851-1923 明治-大正時代の司法官,政治家。
嘉永(かえい)4年7月生まれ。林英尚(ひでひさ)の4男。林太仲(たちゅう)の弟。司法省明法寮をおえ,パリ大に留学。帰国後,民法の編集にあたる。明治19年大審院判事。23年第1回衆議院選挙に当選(当選4回,政友会)。大審院検事,東京弁護士会会長をへて,大正3年貴族院議員。大正12年9月1日死去。73歳。越中(富山県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

磯部四郎

没年:大正12.9.1(1923)
生年:嘉永4.7.15(1851.8.11)
明治大正期の弁護士,政治家。富山藩士林太仲の4男。幼名は秀太郎。上野宗右衛門の養子となるが,のちに自ら磯部四郎と名乗った。明治5(1872)年8月司法省明法寮生徒となる。8年7月大木喬任に陪審制の調査などを命ぜられ,パリ大で法律学などを学び,帰国後陪審法を立案した。司法省権大書記官,大審院判事などを歴任し,24年7月大審院検事。賭博行為を疑われ,25年5月官を辞して弁護士を開業。31年より都合5回東京弁護士会会長となり,弁護士界の長老として大逆事件の筆頭弁護人となった。この間,第1回総選挙で富山県より当選(当選後辞退)。のち東京府から第7回総選挙以来連続3回当選。大正3(1914)年3月,貴族院議員に勅選された。法典調査会委員,法律取調委員を務め,明治法律学校(明大),東京専門学校(早大)の教壇に立つ。明治39年6月法学博士。関東大震災で罹災し没した。<著作>『日本刑法講義』『刑事訴訟法講義』

(楠精一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の磯部四郎の言及

【旧民法】より

… 旧民法の編纂事業は,江藤新平によって指導された1870年の民法会議以来の民法編纂事業の流れをくむものであり,80年に元老院内に設置された民法編纂局によって本格的に開始され,条約改正事業との関係で一時外務省の管轄とされたが,最終的には司法省の手によって草案の完成をみた。この草案は,フランス民法典を模範とし,財産法(財産編・財産取得編(前半部分)・債権担保編・証拠編)の部分はG.E.ボアソナードが,家族法(人事編・財産取得編(後半部分=相続,贈与および遺贈,夫婦財産契約))の部分は,熊野敏三・磯部四郎・黒田綱彦・光妙寺三郎ら日本人が起草にあたった。家族法の第一草案は,全国の地方長官および司法官に回布されて意見を求められ,それにもとづいて修正された。…

【国粋会】より

…〈我国古来の温情主義による労資間の美風良俗〉を守るべく,左翼運動を実力で粉砕しうる団体たることがめざされていた。設立にあたっては総裁には大木遠吉が,会長には磯部四郎が就任し,内務大臣床次(とこなみ)竹二郎,鈴木喜三郎,頭山満が名をつらねた。会の主たる活動は,〈調停〉の名目で争議に介入し,これを鎮圧することにあり,それによって資本家から報酬を受けとるのが常であった。…

※「磯部四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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