朝日日本歴史人物事典 「園基隆」の解説
園基隆
生年:正和3(1314)
鎌倉末・南北朝期の公卿。父は権中納言園基成。母は大納言藤原実教の娘。初名基宣。正中1(1324)年叙爵。右近衛少将から中将に進み,康永2/興国4(1343)年蔵人頭に補され,翌年参議となる。貞和4/正平3(1348)年これを辞す。延文4/正平14年権中納言に任じられ,翌年辞す。貞治6/正平22年正二位に昇る。蹴鞠に長じていた。和歌でも,足利義詮催行の「新玉津嶋社歌合」に加わっているのをはじめ,後光厳天皇の宮中や仙洞の歌会に作者として連なり,勅撰集の新千載集,新拾遺集,新続古今集に入集している。
(相馬万里子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報