チョーサー(読み)ちょーさー(英語表記)Geoffrey Chaucer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チョーサー」の意味・わかりやすい解説

チョーサー
ちょーさー
Geoffrey Chaucer
(1340ころ―1400)

中世イギリス最大の詩人で、近代イギリス詩の創始者。ドライデンは彼を「イギリス詩の父」とよび、また彼の多彩、豊潤な詩作品を「神の豊饒(ほうじょう)」の世界と称した。

[安東伸介]

環境

ロンドンの裕福なぶどう酒商の家に生まれる。幼少のころから宮廷に出仕、長じて軍人、外交官、税関監督官、工事監督、林務官、治安判事代議士などの公職を歴任した。こうした多様多岐にわたるいわば高級官吏としての経歴から得た人間理解の広さ、深さは、後期の作品にみられる現実主義的(リアリステイツク)な人間観によく現れている。

[安東伸介]

習作時代

この時代は、もっぱらマショーデシャンフロアサールの作品や『ばら物語』など、当時宮廷に流行したフランス文学の影響を受け、自らも『ばら物語』の英訳を試み、今日その断章が残っている。この物語は、まったく対照的な2人の作者の手になり、その前編が理想主義的な宮廷風恋愛の伝統を賛美しているのに対して、後編はこれを否定し、愛の目的を種の保存と考え、現実主義的な世界観を展開する。この二つの態度は、チョーサーの作品の初期から後期への発展過程に照応するもので、彼はまず理想主義的、伝統的な愛の詩人として出発し、しだいに現実主義的、喜劇的な世界観、人間観に到達する。作風もまたドリーム・ビジョン(夢に現れる幻想の形式)やアレゴリーなどの伝統的手法からしだいに脱して、独自の写実主義的表現方法を確立するに至る。

[安東伸介]

物語文学の集大成

初期の傑作『公爵夫人の書』(1369~70ころ)は、1369年のペスト大流行のおりに死去した彼のパトロン、ジョン・オブ・ゴーント公の夫人を追悼するために書かれた作品で、ドリーム・ビジョンの様式を用いている点などフランス文学の影響がみられるが、すでに単なる模倣の域を脱し、後期の作品に著しい作者独自のユーモア、劇的手法、自己戯画化の才の萌芽(ほうが)が認められる。『誉(ほまれ)の宮』(未完、1374~82ころ)は同じくドリーム・ビジョンの様式を用いているが、作者の自叙伝ともいうべき要素を含み、ダンテの『神曲』(1307~21)の影響がみられる。『鳥の議会』(1380~86ころ)もドリーム・ビジョンとアレゴリーの手法によりながら、すでに作者の関心は現実の人間世界にあり、人間の多様な個性、思想が鮮やかに描かれている。『トロイルスとクリセイデ』(1385ころ完成)はボッカチオの『フィロストラート(恋の虜(とりこ))』(1338ころ)を素材とした作品で、愛の熱情をめぐる人間の歓喜と苦悩、愛における時間性と永遠性の主題を追求した傑作である。さらにチョーサーは、恋に殉じた女性たちの列伝『善女物語』(未完、1386ころ創作)を経て、ついにヨーロッパ中世の物語文学の集大成ともいうべき大作『カンタベリー物語』(未完、1387ころ~1400)を創作するに至り、中世ヨーロッパ文学における一つの巨大な記念碑を創造した。

[安東伸介]

イギリス的なユーモア感覚

チョーサーの人間を見つめる眼(め)は、しばしば鋭い風刺を発揮することもあるが、総じて、寛容なユーモアに満ち、人間の思想や行為の価値をさまざまな視点から眺めている。このように価値の多様性を認めようとするチョーサーが嫌ったものは、硬直した精神から生ずる事大主義であった。人間の思想であれ、行為であれ、それが誠実の仮面の下に独善に陥ったとみたとき、チョーサーはこれを遠慮なく笑いの対象とした。この強靭(きょうじん)なユーモアの感覚は、紛れもなくイギリス的である。

 チョーサーの文学は、同時代の詩人ラングランドやガワーのそれと異なり、中世文学の頂点であると同時にルネサンス、近代文学の源流ともなったものであり、表現形式、文体、思想その他さまざまな点において、中世的伝統に従いながら絶えずそれから脱皮し、変貌(へんぼう)し続けていった世界であった。

[安東伸介]

『コグヒル著、安東伸介訳『チョーサー』(1971・研究社出版)』『桝井迪夫著『チョーサーの世界』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チョーサー」の意味・わかりやすい解説

チョーサー
Chaucer, Geoffrey

[生]1340頃.ロンドン
[没]1400.10. ロンドン
イギリスの詩人。酒商の家に生れ,少年の頃から貴族の屋敷に奉公し,百年戦争に参加してフランスで捕虜になったこともあったが,帰国後は宮廷に仕え,外交官としてしばしばフランスやイタリアを訪れた。作家としての生涯は3期に分けられるが,第1期はフランス期と呼ばれ,フランスの寓意物語『薔薇物語 (ばらものがたり) 』の部分訳や,彼のパトロンたるランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの夫人の死をいたんだ『公爵夫人の書』 The Book of the Duchess (1369) などがある。第2期はイタリア文学の影響が顕著であり,愛の夢物語『誉れの宮』 The House of Fame (74~82頃) や,中世に流行したトロイ戦争物語の一つ『トロイルスとクリセイデ』 Troilus and Criseyde (85頃完成) などがある。この頃宮廷内の派閥争いから彼の身分にも変動があったが,文学的には第3期のイギリス期に入り,詩人としての自己完成に努めた。代表作『カンタベリー物語』 The Canterbury Tales (87~1400) は未完のままに終ったが,1万 7000行以上に及ぶ大作である。彼は「英詩の父」と呼ばれるが,中世的文学伝統のなかに身をおきながら近代的知性の持主であり,人間へのあたたかい共感をいだき,技巧的にも従来の頭韻を捨てて脚韻に重点をおくなど,後世のイギリス詩に与えた影響は甚大である。墓はウェストミンスター寺院内の「詩人コーナー」の中心にある。

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