園神社(読み)ぎおんじんじや

日本歴史地名大系 「園神社」の解説

園神社
ぎおんじんじや

[現在地名]五ヶ瀬町鞍岡

寺村てらむらにある。祭神は素盞嗚尊ほか六神。「日向地誌」によれば、もとは祇園大明神といったが、明治四年(一八七一)日陰ひぞえ神社と改称。同四三年折立おりたち神社・清水せいすい神社・長司ちようじ神社を合祀し、昭和一〇年(一九三五)祇園神社と改称した。旧村社。社伝によると、貞観一一年(八六九)に京都祇園社を勧請したという。また素盞嗚尊を祀る曾男神そおかみ社であったという説もある。


園神社
ぎおんじんじや

[現在地名]大洲市八多喜町

国鉄予讃本線八多喜はたき駅南方五〇〇メートルのひじ川河畔に立地。社伝に、天智天皇の皇孫喜良喜命が天慶二年(九三九)にこの地にきて、素盞嗚命・奇稲田姫命・大己貴命・神屋楯姫命を奉斎して社殿を建てたという。旧郷社。

加藤氏の大洲入封以後、歴代藩主は参勤交代の際、乗船を社前に横付けして海上安全を祈願した。宝暦一〇年(一七六〇)の大洲領神社改(伊予史談会蔵)には「祇園社」とあり、明治一二年(一八七九)の「愛媛県社寺明細帳」には郷社「粟津森神社」とある。


園神社
ぎおんじんじや

[現在地名]倉敷市下津井一丁目

下津井しもつい港に突き出した小丘じよう山にある。長浜ながはま(東殿)と祇園宮(西殿)からなり、祭神は東殿が素盞嗚命・八大荒神、西殿は素盞嗚命・稲田姫命。旧村社。明治三年(一八七〇)素盞嗚すさのお神社、同二一年に現社名となる。文化一四年(一八一七)の祇園宮祭礼式序(赤星文書)には、貞観年中(八五九―八七七)京都から勧請し疫癘退散祈願をしたという。祇園社旧記(社蔵)によれば、社地は下津井城跡で、長浜宮は城の鎮護神であり、祇園宮はとも(現広島県福山市)より奉遷、文政一〇年(一八二七)波止より上の登道を改修、文化年中に末社稲荷宮を建立とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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