日本の城がわかる事典 「園部城」の解説 そのべじょう【園部城】 京都府南丹市(旧船井郡園部町)にあった平城(ひらじろ)。江戸時代の園部藩の藩庁が置かれた陣屋。但馬国出石から移封された外様大名の小出吉親が1619年(元和5)から2年の歳月をかけて築城した城である。園部盆地の小麦山の東側の高台に築かれ、川を天然の堀として利用し、さらに堀を巡らせたもので、陣屋とはいえ堅固な城郭の体を成していた。その後も、小出氏10代の居城として明治維新を迎えた。幕末の戊辰戦争時、京都御所の安全が問題視され、園部陣屋は明治天皇の行在所として候補にあがり、明治政府の許可を得て1868年(明治1)から2年の歳月をかけ、櫓(やぐら)門・巽櫓、三層櫓などが築かれて、城としての姿を整えたという珍しい歴史を持っている。このころの園部城は南北600m、東西400mの城域を持ち、約2kmの堀をめぐらし、大広間・大書院を容する御殿のある本丸の四隅には巽・太鼓・巣鴨・乾の4基の櫓を配していた。しかし、1872年(明治5)、園部城は廃城となり、多くの建物が取り壊され、現在は京都府立園部高等学校の敷地となっている。同校の敷地内には、隅櫓や2層櫓門など一部の建物が現存する。櫓門は同高校の正門として利用されている。隣接する公園に、天守風の建造物(国際交流会館)があるが、園部城とは関連はない。また、かつての園部城の太鼓櫓が市内の安楽寺に移築されて現存する。JR山陰本線園部駅から徒歩約20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報