20世紀日本人名事典 「土井幹夫」の解説 土井 幹夫ドイ ミキオ 明治・大正期の俳人,国学者 生年弘化3年(1846年) 没年大正14(1925)年11月19日 出身地紀伊国尾鷲(三重県) 本名土井 〓 経歴医を若林太冲に、国学を橋村淳風・堤盛言に、俳諧を八木芹舎に学び、和歌をよくした。兄が没し嗣子が幼かったため宗家の家政を助けて山林・農業・水産などの振興発達に尽力した。また俳人としても活躍、楽天社を興して門人の指導に当たった。著書に「天祚録」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土井幹夫」の解説 土井幹夫 どい-みきお 1846-1925 明治-大正時代の俳人。弘化(こうか)3年生まれ。紀伊(きい)尾鷲(おわせ)(三重県)の富豪土井氏の一族。八木芹舎(きんしゃ)にまなび,楽天社をおこして門人の指導にあたった。大正14年11月19日死去。80歳。名は橚。号は淇水,細々園,守愚斎。著作に「天祚録」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by