土佐少掾橘正勝(読み)とさのしょうじょう たちばなの まさかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土佐少掾橘正勝」の解説

土佐少掾橘正勝(初代) とさのしょうじょう-たちばなの-まさかつ

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
土佐節開祖。江戸の薩摩(さつま)浄雲座の人形遣い内匠(たくみ)市之丞の子。浄雲門下で江戸虎之助,内匠虎之助を称した。寛文11年(1671)土佐座をおこす。延宝2年ごろ土佐少掾を受領,土佐太夫ともよばれた。硬派の浄雲系にあって上品でしとやかな芸風であった。門下に手品市左衛門ら。通称内匠土佐

土佐少掾橘正勝(3代) とさのしょうじょう-たちばなの-まさかつ

?-1791 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
土佐節の初代土佐少掾の次男2代内匠(たくみ)虎之助の子。2代土佐少掾の養子となり,養父の没後3代を襲名。江戸木挽(こびき)町の操(あやつり)座を興行したが,不況のため休業し,葺屋町に再開後も類焼による休座がつづいた。寛政3年6月28日死去。

土佐少掾橘正勝(2代) とさのしょうじょう-たちばなの-まさかつ

?-1742* 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
初代土佐少掾の長男。土佐節。父のワキをつとめていたが,のち2代をつぎ,江戸で操(あやつり)座を興行した。寛保(かんぽう)元年11月29日死去。初名は内匠(たくみ)太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例