融通念仏縁起絵巻(読み)ユウズウネンブツエンギエマキ

デジタル大辞泉 「融通念仏縁起絵巻」の意味・読み・例文・類語

ゆうずうねんぶつえんぎえまき〔ユウヅウネンブツエンギヱまき〕【融通念仏縁起絵巻】

融通念仏宗の開祖良忍りょうにん伝記、同宗の功徳などを描いた2巻本の絵巻物念仏勧進のため正和3年(1314)に原本が成立し、以後広く伝写された。南北朝時代に良鎮りょうちんの勧進により制作された「知恩院本」、明徳2年(1391)制作の木版による「大念仏寺本」、この木版本の図様を踏襲した紙本著色の「清凉寺本」(応永年間の作)などがある。特に清涼寺本は六角寂済じゃくさい藤原光国土佐行広粟田口隆光ら、当時一流の画家たちが制作に参加しており、室町期の大和絵の貴重な作例として国の重要文化財に指定されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「融通念仏縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

融通念仏縁起絵巻 (ゆうづうねんぶつえんぎえまき)

融通念仏を広めた良忍の伝記から,融通念仏の感得の由来,入滅後の奇跡などをとり上げ,さらに融通念仏の功徳やその弘通の歴史を描いたもの。原本(2巻)が1314年(正和3)に成立するや,鎌倉時代末より室町時代にかけてたちまち広く伝写された。原本にごく近いものがクリーブランド,シカゴ両美術館に分蔵されるほか,14世紀末に良鎮が出て,熱烈な勧進によって多数の転写本がつくられ,さらに1390年(元中7・明徳1)には精巧な木版本が完成し,大阪市大念仏寺などにのこる。木版本は墨一色の効果を考慮した素朴な画趣を持ち,1414年(応永21)には逆にこの木版本の図様をそのまま踏襲した京都市清凉寺本などの彩色本がつくられるに至った。清凉寺本は当時一流の画師六角寂済,粟田口隆光らによるもので,室町時代絵画の基準作例として貴重であるが,やまと絵の画法が類型化し,生彩に欠ける点は否めない。こうした《融通念仏縁起絵巻》の歴史的展開は,中世における宗教絵巻の機能と伝播の状況をよく伝えてくれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「融通念仏縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

融通念仏縁起絵巻
ゆうずうねんぶつえんぎえまき

融通念仏宗を興した良忍上人の事績や念仏の功徳などを描いた絵巻。教義の弘布を目的として数多く制作された。原本は正和3 (1314) 年の成立で,アメリカのクリーブランド,シカゴ両美術館に分蔵の1本はこの原本に最も近い作例。その後永徳・至徳年間 (81~87) ,南北朝時代の僧良鎮の熱烈な勧進によって多くの転写本 (知恩院本,根津美術館本,フリーア美術館本など) が作られた。元中7=明徳1 (90) 年に木版本 (大念仏寺本) も刊行。さらにこの木版本を基に着彩の絵本も制作された。応永 21 (1414) 年六角寂済らが描いた清涼寺本はその好例で,15世紀のやまと絵を知るうえで貴重な作品。

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百科事典マイペディア 「融通念仏縁起絵巻」の意味・わかりやすい解説

融通念仏縁起絵巻【ゆうづうねんぶつえんぎえまき】

融通念仏宗の開祖良忍(りょうにん)の伝記および同宗の興隆を描いた絵巻。1314年原本が成立,鎌倉末〜室町期にかけて広く伝写された。大坂大念仏寺蔵の2巻本(版画)は良鎮(りょうちん)上人が1391年開板したものの一つで版画史上貴重。清凉寺蔵の2巻本は良鎮本を土台とした肉筆本で,土佐行広(ゆきひろ)ら数人の合作で応永年間(1394年―1428年)に作製された。

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