土倉村(読み)つちくらむら

日本歴史地名大系 「土倉村」の解説

土倉村
つちくらむら

[現在地名]木之本町金居原かねいはら

金居原村の枝郷で、同村の北、土蔵つちくら南西麓に位置する。天和二年(一六八二)彦根藩代官太田甚左衛門が土倉村に藩主御用炭の焼出しを命じており、当時土倉に六戸の家があり、製炭業に従事している(伊香郡志)。当村は彦根藩領の柳瀬やながせ(現余呉町)より御用炭焼(釜子)が移住開拓したものといい、住民はほとんど柳瀬村の真宗大谷派景好けいこう寺の檀家で、同寺過去帳に宝永四年(一七〇七)土倉利右衛門死亡の記載がある。


土倉村
つちくらむら

[現在地名]糸魚川市土倉

大平おおだいら村本村の南東、大平村岩倉いわくらの南西。南は中河原なかがわら新田。もと大平村湯川内ゆのかわちの東の土倉川に臨み、ほこヶ岳の谷間に集落していたが、享保二〇年(一七三五)の土倉川の氾濫で全滅し、大肝煎斎藤何左衛門の開拓による中河原新田地内に移住する者が多かったという(西頸城郡誌)。天正一五年(一五八七)八月の経田永付帳(伴文書)に「土倉分」と記し、経田きようでん村のうちの一村であった。貫高一貫七八三文、米合計五俵余。名請人は与三左衛門尉一人。地名にぬま田・玉谷・ひやけ・こむかいなどがある。


土倉村
つちくらむら

[現在地名]平田町土倉

今尾いまお村の南、揖斐いび川左岸に立地する。慶長郷帳土蔵村とみえ、高一八二石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳には土倉村とあり、高一九七石余で幕府領。同五年の竹腰山城守知行方目録(村瀬文書)に村名がみえ、同八年尾張藩付家老となる竹腰正信の所領となっている。正保郷帳では尾張藩領、田九六石余・畑一〇〇石余で、ほかに新開三二七石余があった。明暦覚書によれば概免四ツ一分二厘余・見取米一三一石余、人数一五四、馬一五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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