土崎湊愛宕町
つちざきみなとあたごまち
[現在地名]秋田市土崎港中央一丁目・同南一丁目・同南二丁目の各一部
元文年間(一七三六―四一)の湊古絵図には新城町の南小路を東に進むと愛宕町があり、愛宕神社が記される。菅江真澄の「水の面影」に「鉄屑山は大同のはじめ古四王宮の洪鐘を、殖野の野口の鐘楼に釣たりし鐘は、此山にて鋳るといへり。その世の紫銅液多かりしかば、かなくぞ山の名に負い、また愛宕権現を斎ひ奉れば、今は阿多呉山の名におひ、麓をあたご町とておなじ土崎の湊也」とあり、鉄屑山を愛宕山といい、愛宕権現を祀り、麓町を愛宕町とする伝承を記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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