ゴールドラッシュ(読み)ごーるどらっしゅ(英語表記)gold rush

翻訳|gold rush

デジタル大辞泉 「ゴールドラッシュ」の意味・読み・例文・類語

ゴールド‐ラッシュ(gold rush)

新しく発見された金鉱に人々が殺到すること。特に、1849年に米国カリフォルニアで起こったものをいう。
国際金融市場で、金に対する買いが殺到すること。
[補説]書名別項。→ゴールドラッシュ

ゴールドラッシュ[書名]

柳美里長編小説。平成10年(1998)刊行。14歳の主人公の父親殺しを通じ、思春期の少年の心理を描く。当時話題となっていた、神戸連続児童殺人事件(通称「酒鬼薔薇事件」)をモチーフとした作品。第3回木山捷平文学賞受賞。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ゴールドラッシュ」の意味・読み・例文・類語

ゴールド‐ラッシュ

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] gold rush )
  2. 新しく発見された金鉱に発掘者が殺到すること。特に一八四八年、アメリカ合衆国のカリフォルニアに金鉱が発見されてから、七〇年代にかけての発掘ブーム。ゴールデンラッシュ。
    1. [初出の実例]「やがて、熱病的なゴールドラッシュ!」(出典:黒船前後(1933)〈服部之総〉汽船が太平洋を横断するまで)
  3. 金の価格の上昇を予想して金の投機に殺到すること。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ゴールドラッシュ」の意味・わかりやすい解説

ゴールドラッシュ
gold rush

金鉱の発見によって多数の人が急激に集中し,人口の増大,農業・商業・交通・都市の発達を生じる現象をいう。

1848年,カリフォルニアのアメリカン川沿岸地帯での砂金発見以降70年代にかけて,アメリカ西部各地で金鉱が発見され,そのたびごとにゴールドラッシュが生じた。カリフォルニアの場合,金発見のニュースを知って1年間に殺到した人々〈フォーティ・ナイナーズ〉約10万人のうち,約5万人がシエラ・ネバダ山脈のマザーロード地方を中心として採金に従事した。ブームの去った後にもカリフォルニアに残って商人,農民になった人も多く,都市の発達を促進し,カリフォルニアの州としての成長に貢献した。このような例は金鉱が発見されるたびにネバダ,コロラド,ワシントンアイダホモンタナ,ダコタなどの西部各地でも発生した。ゴールドラッシュを中心とする人口の移動,集中は,従来の西漸運動が東から西へ向かったのと異なり,西から東へとフロンティアを推進する形をとり,鉄道の発達を促すとともに荒野を新しい準州,州へと成長させた。

 他方,アラスカでは,1880年代に金が発見され,19世紀末から20世紀初めにかけてノーム,フェアバンクスを中心にゴールドラッシュが起こり,アラスカ発展の基礎となったが,カナダとの境界を定めた1903年の条約締結も金鉱地帯の所有をめぐる対立の結果といえる。カナダではアラスカに接するユーコン・テリトリーのクロンダイク地方のゴールドラッシュ(1896)以前に,1857-58年にかけてブリティッシュ・コロンビアのフレーザー川流域でゴールドラッシュが始まっており,カナダの西辺の地域を台頭させる原因となった。
執筆者:

1693年ミナス地方で金が発見されると,植民地各地とポルトガルから多くの人が殺到し,ポルトガル王室は沿岸部の荒廃を憂慮し,移動を制限しようとした。ミナス地方では,オウロ・プレト,ピタングイなど多くの金鉱集落が開発されたので,外港リオ・デ・ジャネイロに通ずる〈新道〉が1705年に開通し,リオ・デ・ジャネイロが後に植民地の中心都市となる契機となった。08年には,利権をめぐる騒乱(エンボアバスの戦)が起きた。1690-1770年の期間にブラジルは,世界の産金量の半分を産出した。
オウロ・プレト
執筆者:

オーストラリアではすでに1823年に金が発見されていたが,流刑囚の反乱を恐れた為政者が発表を抑えていた。しかし40年代に流刑囚受入れがほぼ終了し,48年のカリフォルニア・ゴールドラッシュに刺激されて,ただでさえ少ない人口の流出を食い止めるために逆に金発見奨励策に転じた。51年にカリフォルニア帰りのハーグレーブズEdward Hammond Hargraves(1816-91)がシドニー西北西約260kmの地点で金を発見すると,それによる人口流出で市の機能が停止しかけたメルボルンは同市周辺の金鉱発見に賞金を出し,その結果,同じ年のうちにバララトをはじめとする当時世界最大の産金地帯が発見された。国家としての基礎ができていたアメリカに比べると,まだ植民地の集合体にすぎなかったオーストラリアにとって,ゴールドラッシュは政治・経済面に広範かつ深刻な影響を与えた。

 1851年に40余万だった人口は10年後に120万弱に達し,第1次・2次産業,港湾,道路,鉄道などが発達した。社会問題のうち最大のものは,金鉱夫の反乱(ユリーカ砦の反乱)と中国人鉱夫に対する暴動であるが,ここにも大牧場主(スクオッター)支配体制への反抗と,その一方で反抗者たち自身白豪主義的病理に冒されていた矛盾が露呈された。

 なお,産金量のピークは1903年で,以後は下降線をたどった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴールドラッシュ」の意味・わかりやすい解説

ゴールド・ラッシュ
gold rush

新たに発見された金鉱(→金山)や金の採掘地に人々が殺到する現象。19世紀にアメリカ合衆国,オーストラリア,カナダ,南アフリカ共和国で起こった。
(1) 1848年1月24日,アメリカ,カリフォルニアのサクラメント川付近(→サクラメント)にあるジョン・オーガスタス・サッターの所有地で,大工のジェームズ・ウィルソン・マーシャルが金を発見した。この報はまたたく間に世界中に伝わり,翌 1849年にかけて全世界からカリフォルニアに約 8万人が移住した。この大勢の移住者はフォーティー=ナイナーズ forty-ninersと呼ばれ,カリフォルニアの農業,鉱業,経済の急速な開発を促した。1853年までにカリフォルニアの人口は約 25万人にまでふくれあがった。ゴールド・ラッシュによる発展も一因となり,カリフォルニアは 1850年9月にアメリカの一州に加えられた(→1850年の妥協カリフォルニア州)。最も有名なゴールド・ラッシュ。以後も北アメリカでは 1859~60年にアメリカのバージニアシティー(→ネバダ州)で,1850年代後半および 1890年代にクリップルクリーク(→コロラド州)で,1896年にカナダのクロンダイク(→ユーコン准州)で,それぞれ小規模のゴールド・ラッシュが起こった。
(2) 1851年,オーストラリアのバララトベンディゴで金鉱が発見され,1860年代初頭にかけてオーストラリアとイギリス中から人が集まった。北アメリカの金が砂金状であるのに対して大きなものが多く,重さ 75kg以上の「ホルタマン金塊」が知られる。
(3) 1886年,南アフリカのトランスバール地区のウィットウォーターズランドで,キンバリーのダイヤモンド採掘員ジョージ・ハリソンが金鉱を発見した。ほかの地域がゴールド・ラッシュから数年ののちにはすたれていったのと異なり,南アフリカの金採掘業はこれ以降,着実に発展を遂げ,世界有数の金生産地となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴールドラッシュ」の意味・わかりやすい解説

ゴールド・ラッシュ
ごーるどらっしゅ
gold rush

金の発見地、採掘地に向かって大ぜいの人が急激に集中するありさまをいう。史上もっとも著名なゴールド・ラッシュは、1848年に始まるアメリカ、カリフォルニアのそれである。同年1月にサクラメントに近いアメリカ川でジェームズ・W・マーシャルという大工が砂金の粒をみつけたというニュースは、またたくまに全世界に広まった。まもなく、全米および中国、オーストラリアを含む世界の各地から、わずかな資本で一攫千金(いっかくせんきん)を夢みる金鉱探したちや、彼らに必要な物資・サービスを提供する商人、職人、ホテル業者、銀行家、弁護士、売春婦たちがカリフォルニアに押し寄せ始めた。この大ぜいの人たちは一般に「1849年の人々(フォーティ・ナイナーズ)」とよばれた。1848年初め2万に満たなかったカリフォルニアの人口は、49年に10万、52年に25万、60年には38万とうなぎ登りに増加、鉱山町が各所につくられた。1852年には最高の年間金産出量を記録し、その額は約8130万ドルと推定されている。また、1847年には100人そこそこの僻村(へきそん)にすぎなかったサンフランシスコは、カリフォルニアへの入口、物資補給基地、歓楽街として金探しブームの中心地となり、50年に人口3万5000の都会へと成長した。アメリカではこのあと、ネバダのコムストック鉱脈の発見(1859)、コロラド(1859)、モンタナ(1863)のラッシュと続き、1897年には北アメリカ最後のゴールド・ラッシュがアラスカのユーコン川の流域におこっている。

 アメリカ以外のゴールド・ラッシュでは、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズとビクトリア(1851)、同じくクールガーディ(1864)、そして1886年に南アフリカ、トランスバールのウィトワーテルスランドの巨大な金鉱脈の発見によるものが有名。

[平野 孝]

『中屋健一著『アメリカ西部開拓史』(1963・筑摩書房)』『猿谷要著『西部開拓史』(岩波新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ゴールドラッシュ」の意味・わかりやすい解説

ゴールドラッシュ

金鉱が発見された土地に金獲得をねらう人びとがいっせいに押しかける現象。米国カリフォルニアのゴールドラッシュは特に規模が大きく,1848年に金が発見されると1849年1年間だけで約10万人が押しかけたといわれる。その他1851年オーストラリアのビクトリア,1859年米国のコロラド,1884年南アのトランスバール,1896年アラスカのクロンダイクなど。
→関連項目黄金狂時代サウス・ダコタ[州]サクラメントシアトル

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のゴールドラッシュの言及

【オーストラリア】より

…1840年代に入って元流刑囚とカレンシー・ラッドcurrency lad(イギリス本国生れをスターリングsterlingと呼んだのに対して,植民地生れをこう呼んだ。流刑囚の子弟が多い)の数が自由移民を上回ると,この対立はスクオッター(大牧場主)と小農場主および毛刈職人などの移動労働者との対立に転化し,51年に始まるゴールドラッシュによる人口急増でいっそう拍車がかかった。イギリス本国はスクオッターの土地占有を抑えるべく,初期には株式組織の土地開発会社,61年には新たな土地政策によってセレクターselectorと呼ばれる小農場主を創出した。…

【開国】より

…しかも,イギリスへの敗戦の結果として賠償金を支払い,香港,九竜を割譲し,領事裁判権,協定関税制,片務的最恵国条款のほかに外国人の内地通商権やキリスト教布教権なども外国に握られた中国に比して,日本の対外従属的地位はやや緩和されてはいた。とはいえ,1850年代末までの中国と日本の開国は,世界史的にみれば,カリフォルニア(1848),オーストラリア(1851)における大金鉱脈の発見と両地方への植民ラッシュ(ゴールドラッシュ)とともに,それまではいわば処女地だった太平洋地域が,近代産業資本を主役とする国際通商網のなかに最終的にくみこまれる画期となった。すなわち中国と日本の開国は,あたかもこの50年代にこそ進行しつつあった資本主義的世界市場・世界体制の確立の最後の一環としての意義をもち,東アジア諸国もまたそこに半強制的,従属的に編入されることによって苦難にみちた近代史を迎える,歴史的な画期を象徴するものであった。…

【ブラジル】より

…このため,ブラジル南部への伸展を余儀なくされたポルトガル人は,80年にラ・プラタ川に面してコロニア・ド・サクラメントをつくった。
[ゴールドラッシュ]
 1693年サン・パウロのバンデイラによって内陸のミナス・ジェライスで金が発見され,未曾有のゴールドラッシュが起きた。衰退しかけた北東部(ノルデステ)ばかりでなく,ポルトガルからも多数の移民が殺到した。…

※「ゴールドラッシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

期日前投票

期日前投票制度は、2003年6月11日公布、同年12月1日施行の改正公職選挙法によって創設された。投票は原則として投票日に行われるものであるが、この制度によって、選挙の公示日(告示日)の翌日から投票日...

期日前投票の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android