圩田
うでん
中国で五代以来、江南に新しく開発された水利田。江湖の周辺に強固な堤防を築き、その中を囲い込んで水田としたもの。湖田、囲田も構造上は同じである。方数十里に達する大圩(堤)も構築され、圩内の大戸が選ばれて圩長となり、圩岸の興修を監督した。中には用水路が通じ、上下の堤防に水門を設け、灌漑(かんがい)と排水を自由に調節できたので、水害、干害両方に強く、揚子江(ようすこう)下流デルタ地帯の米生産に飛躍的増大をもたらした。官僚、地主層は大規模な圩田を造成し、江湖の水を独占、低地の民田の水利を阻害したため、たびたび堤防の開掘が命じられたが実行されず、南宋(なんそう)以降ますます発展した。圩田では佃戸(でんこ)耕作による荘園(しょうえん)経営が行われた。
[柳田節子]
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圩田
うでん
江南を中心につくられた,堤防で囲まれた水田
堤防には門があり,排水や灌漑を自由に行うことができた。この結果江南では農業生産が増大し,「蘇湖熟すれば天下足る」という状況となった。ただしその維持には多大な労力を必要とするので,有力地主層によって運営され,彼らの台頭を招いた。
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世界大百科事典(旧版)内の圩田の言及
【囲田】より
…江湖の周辺に強固な堤防を築き,中を囲い込んで水田とした。周囲数十里に及ぶ大規模なものが多く,圩田(うでん)・湖田も構造上は同じである。堤防の上下に水門を設け,灌漑と排水を自由に調節できたので,水害にも日照りにも強く,江南デルタ地帯の米生産の飛躍的増大をもたらし,〈蘇湖(州)熟すれば天下足る〉の諺を生んだ。…
【灌漑】より
…【喜多村 俊夫】
【中国の灌漑】
広大な中国では,華北(黄河流域),江淮(おおよそ淮河(わいが)流域),江南では自然条件が異なり,華北は畑作,江淮,江南は米作である。それゆえ利水の様式に著しい差があるが,巨視的に見れば,華北は渠(きよ),江淮は陂塘(ひとう)が主で,江南には陂塘と圩田(うでん)にともなって生じる独特の灌漑法とがある。 華北の雨量は関中では年平均400mmくらい,黄河平野でも500~600mm前後である。…
【干拓】より
…彼らはこの地一帯に網の目のように流れる小河川に沿って堤防(圩(う))を築いて囲込みをし,その中を周辺から漸次耕地化していった。これがいわゆる[囲田],圩田,湖田と呼ばれる干拓田である。圩田の排水,灌漑は堤防中の閘(こう)(水門)によるが,水位の関係上,竜骨車,水車なども用いられた。…
【江蘇[省]】より
…三角州は平均標高3.5m以下,最低は1.7m以下のところもある。したがって,水害をさけるため周囲に堤防を築いた圩田(うでん)が発達している。クリークの密度は1km2に対し4.8km,昆山県では7.2kmにも達するところがあり,湖沼の数は太湖を除いて150余にのぼる。…
【小作制度】より
…10世紀,宋代以降の農業における生産関係のうえで,租佃制がこれまでにはない大きな比重を占めるようになった。とりわけ華中・華南では,低湿地を堤防で囲いこんで,[囲田](いでん),圩田(うでん)と呼ばれる水田が造成されるなど,水稲栽培技術が飛躍的に向上し,大土地所有者は自家で経営しうる規模をこえる土地の大部分を,佃戸(でんこ)と呼ばれる小作農民に貸与し,租と名づけられる小作料を徴収するようになり,租佃制の発達は目覚ましかった。しかし華北の畑作地帯では,宋と金,金と元の戦乱の影響もあり,清初まで租佃制の発達は停滞した。…
【地主】より
…農村社会の一般地主とそれを母体として生まれた官僚地主との共存,競合,矛盾は,その後も中国の地主の固有の特徴として再生産される。ところで当時の地主所有地は,稲作が飛躍的に発展した江南の場合について見ると,低湿地を堤防で囲いこんで圩田(うでん)あるいは[囲田](いでん)といわれる水田を造成し,それを所有する地主,この堤防に自己の家屋,倉庫,佃戸の住居,堤防の間のクリークに沿って物資を運搬する船を備置しており,この一角は荘と呼ばれていた。この範囲をこえておびただしい土地を集積し,現地から離れて住む地主は,それぞれの荘に監荘(かんそう),幹人(かんじん)と呼ばれる管理人を配置し,小作料の徴収と国家への租税納入にあたらせた。…
※「圩田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」