20世紀日本人名事典 「坂根田鶴子」の解説
坂根 田鶴子
サカネ タヅコ
昭和期の映画監督
- 生年
- 明治37(1904)年12月7日
- 没年
- 昭和50(1975)年9月2日
- 出生地
- 京都市
- 経歴
- 日活太秦撮影所現代劇部監督部に入り、溝口健二につく。昭和5年から15年の「浪花女」まで助監督・スクリプターとして協力。7年日活退社後新興キネマ太秦、日興東京、第一映画、新興キネマ東京と移る。この間第一映画時代の11年監督となり「初姿」を演出、日本女性監督第1号となる。15年溝口と離れ理研科学映画社に入り「北の同胞(アイヌ)」を監督。16年退社し、翌年満州に渡り満州映画協会啓民映画部監督として「勤労的(はたらく)女性」などを撮った。敗戦後も残り、東北電影公司の演出員としてニュース映画などを製作。21年帰国し松竹京都に入社。再び溝口の下でスクリプターを務めた。37年退社後、大映の仕事を手伝ったが46年引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報