坊門清忠(読み)ぼうもんきよただ

改訂新版 世界大百科事典 「坊門清忠」の意味・わかりやすい解説

坊門清忠 (ぼうもんきよただ)
生没年:?-1338(延元3・暦応1)

鎌倉末~南北朝期の公卿。父は藤原俊輔。1327年(嘉暦2)従三位に叙せられ造興福寺長官となる。後醍醐天皇に仕え,足利尊氏新田義貞と対立したときには公卿僉議せんぎ)の場でただ一人尊氏を討つことを主張した。また尊氏が九州から攻め上ってきた際には,京都を一時尊氏方に明け渡すという楠木正成作戦反対して正成を討死させたことなどが《太平記》にみえる。南北朝分裂後は天皇に従って吉野に逃れた。
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関連語 清田

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坊門清忠」の解説

坊門清忠 ぼうもん-きよただ

?-1338 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
醍醐(ごだいご)天皇につかえ,嘉暦(かりゃく)3年参議,建武(けんむ)元年従二位。建武3=延元元年九州から攻めのぼる足利尊氏(たかうじ)に対して,尊氏軍を京都にいれてたたかおうとする楠木正成(くすのき-まさしげ)の策に反対。摂津湊川(みなとがわ)の敗戦のあと,天皇にしたがって吉野にのがれた。建武5=延元3年3月21日死去。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坊門清忠」の意味・わかりやすい解説

坊門清忠
ぼうもんきよただ

[生]?
[没]延元3=暦応1(1338).3.21. 吉野
鎌倉時代末期,南北朝時代の廷臣,従二位,参議。藤原俊輔の子。後醍醐天皇に従って南朝参仕

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