日本の城がわかる事典 「堀越城」の解説 ほりこしじょう【堀越城】 青森県弘前市にあった平城(ひらじろ)。弘前城、種里城とともに「津軽氏城跡」として国指定史跡になっている。1336年(建武3/延元1)に、津軽地方の地頭の曾我太郎貞光が築城したのが起源。その後、この城は南部氏の、次いで大浦氏(のちの津軽氏)の支城となった。1571年(元亀2)、大浦為信(のちの津軽為信)が南部家の津軽郡代石川高信が守る石川城を奇襲して高信を自刃させたが、その攻撃に際して、為信は堀越城に兵を密かに集めた。その後津軽を統一し、豊臣秀吉から津軽を安堵された為信は、この城を修築し、大浦城から居城を移した。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いでは、為信は東軍(徳川方)として参戦したが、留守中、西軍を支持した家臣の謀叛により堀越城は一時期占領される事態となった。また、1602年(慶長7)には家臣が城の防備を破って本丸・二の丸・三の丸に切り込むという天童事件が発生。ここに及んで、この城が不吉であることや防備の不足が問題となり、新たな本城として弘前城の建設が決められ、第2代藩主津軽信枚の代に弘前城が完成して本拠を移した。その後、1615年(元和1)の一国一城令により、堀越城は廃城となった。本丸跡は現在、熊野神社になっており、二の丸、三の丸跡は果樹園や空き地になっている。JR弘前駅から弘南バスで堀越下車、徒歩約5分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報