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大浦城 おおうらじょう

日本の城がわかる事典の解説

おおうらじょう【大浦城】

青森県弘前市(旧岩木町)の岩木山東南麓にあった戦国時代の平城(ひらじろ)。戦国大名の大浦氏(のちの津軽氏)の居城として使われていた。大浦氏が戦国大名として地位を固め、臣従していた宗家の南部家から独立的な行動をとるようになった時期に使われていた城である。城の規模は東西500m、南北250mほど。津軽藩の始祖とされている大浦光信(おおうらみつのぶ)が南部氏への備えとして、1502年(文亀2)にもともとあった西根城を改修して築城し、次男の盛信を置いた。光信の跡を継いだ盛信の時代には、大浦城は主城となった。その後、津軽統一を成し遂げた大浦為信(のちの津軽為信)の治世下になって、主城を堀越(ほりこし)城に、さらに弘前城に移したことから、大浦城は属城となり弘前城の詰めの城としての役割を果たすことになったが、1615年(元和1)の江戸幕府の一国一城令により廃城となった。城の跡地は現在、弘前市立津軽中学校の敷地などになっており、校門近くに石碑と解説板があるが、本丸、二の丸、西の丸の土塁跡をわずかに残すのみ。また、この城の大手門は弘前城の北内門(賀田御門)として移築されたが、賀田御門も現存していない。唯一現存する遺構は、同城より移築されたとされている法源寺(同市新寺町)の山門のみである。弘前バスターミナルから「百沢・嶽線」行きバス、診療所前下車、徒歩1分。◇八幡城、賀田(よした)城ともいう。

出典|講談社日本の城がわかる事典について | 情報

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