国指定史跡ガイド 「津軽氏城跡」の解説
つがるししろあと【津軽氏城跡】
青森県弘前市と西津軽郡鰺ヶ沢町にある津軽氏の居城跡。指定名称は「津軽氏城跡 種里城跡(たねさとじょうあと) 堀越城跡(ほりこしじょうあと) 弘前城跡(ひろさきじょうあと)」。市内下白銀(しもしろがね)町にある弘前城は、2代津軽信牧(のぶひら)が1610年(慶長15)に築城に着手し、翌年完成して以後明治にいたるまで津軽氏代々の居城となった。西に岩木川、東に土淵川を配し、南西の久渡寺山側から北に向かった細長い台地の端に位置する平山城で、築城当時の津軽氏は4万7000石だったが、5層の天守をはじめ、郭(くるわ)・櫓(やぐら)・御殿・重臣邸など規模は雄藩並みである(のち、津軽氏は10万石になっている)。奥羽地方への備えのほかに、蝦夷地(えぞち)鎮護の役割もあったと考えられている。現在は、1810年(文化7)の本丸隅櫓を改造した三重の天守閣と追手門など5門と3つの櫓が残っている。1952年(昭和27)にまず弘前城跡が禅林33ヵ寺の長勝寺周辺と最勝院五重塔を含めて国の史跡として指定された。西茂森の長勝寺は津軽氏の前身、大浦氏が菩提寺として種里(現在の鰺ヶ沢町)に開いた寺で、のちに現在地に移り、津軽家の霊屋などがある。銅屋(どうや)町の最勝院は津軽氏領内の寺社を統轄する立場にあった寺で、五重塔は信牧が寄進したもので、重要文化財になっている。1985年(昭和60)には弘前城跡に加えて、弘前城南東4kmの堀越に位置する津軽氏の旧城であった堀越城跡を追加して、津軽氏城跡と改称。2002年(平成14)には、津軽氏発祥の地とされる鰺ヶ沢町種里の種里城跡も追加指定された。弘前城跡は弘前公園として整備され、桜の名所として親しまれている。弘前城跡へは、JR奥羽本線弘前駅から弘南バス「市役所前公園入口」下車、徒歩すぐ。