堤根村(読み)つつみねむら

日本歴史地名大系 「堤根村」の解説

堤根村
つつみねむら

[現在地名]杉戸町堤根・清地せいじ三丁目

杉戸宿の南東本郷ほんごう村の北に位置し、村の南西部を日光道中が通る。地名は古利根川の堤付近に集落を形成したことから起きたものと思われる。田園簿に村名がみえ、田高一千二〇〇石余・畑高六五八石余で、幕府領元禄郷帳では高六二三石余と記し、ほかに枝郷分八ヵ村を記している。すなわち堤根村の枝郷として桑崎くわざき新田二二五石余・三ッ俣みつまた新田一二〇石余・諏訪すわ新田五六〇石余・源内げんない新田一四六石余・蔵久くらひさ新田三五一石余・上分かみぶん新田一六七石余・宮内くない新田三一九石余・藤搦ふじがらみ新田六二石余とあり、この新田都合高一千九五四石余と親村を合せると高二千五七七石余の村高となる。


堤根村
つつみねむら

[現在地名]行田市堤根

北から東へは渡柳わたりやなぎ村、北から西は樋上ひのうえ村、南はふくろ(現吹上町)。古墳時代後期の円墳と集落遺跡がある。「風土記稿」は編纂当時、当村の属した郷庄名が不明であり、慶長一三年(一六〇八)検地帳に「向箕田郷ノ内忍領堤根村」と書かれたものがあったので、古くは足立郡であったかとする。村の西側にある古堤は天正一八年(一五九〇)石田三成がおし城を水攻めにした堤で、それが村名になった(風土記稿)。三成は「樋上邑・堤根村ヘ新堤ヲ築、袋・鎌塚・門井・棚田・大井村ノ古堤ヘ築合」(武蔵志)したという。石田いしだ堤として県の史跡に指定される。


堤根村
つつみねむら

[現在地名]古川市堤根

鳴瀬なるせ川と多田ただ川に挟まれた穀倉地帯にあり、鳴瀬川のすぐ北側で、堤防根元にあったという。北は引田ひきだ村、南は鳴瀬川を挟んで斎田さいだ(現志田郡三本木町)、東は中沢なかざわ村、西は加美かみ下新田しもにいだ(現中新田町)と接する。寛永二一年(一六四四)八月一四日二代藩主忠宗は堤根村のうちで、一貫二〇〇文を安藤弥左衛門へ、一貫二一五文を宮沢源左衛門尉へ与えている(「伊達忠宗領知黒印状」伊達家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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