日本歴史地名大系 「塩谷庄」の解説
塩谷庄
しおやのしよう
平安末までには成立していたと思われる摂関家領。「しおのや」ともよばれた。庄域は不明であるが、郡名庄であることから、律令制下の塩谷郡のうち、当庄と前後して成立したと推定される
開発・寄進の主体は塩谷氏と考えるのがごく自然であるが、一般的に塩谷氏といえば宇都宮頼綱の弟朝業が塩谷氏の祖とされる。しかし「吾妻鏡」によると朝業が本姓の宇都宮から塩谷にかわるのは、建仁三年(一二〇三)五月から建暦二年(一二一二)二月までの間であり、当庄が立庄されたと思われる平安末期とは大きなずれがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報