壬生宿(読み)みぶしゆく

日本歴史地名大系 「壬生宿」の解説

壬生宿
みぶしゆく

[現在地名]壬生町通町・表町など

壬生通(日光西街道)に置かれた宿駅。江戸へ二三里余、飯塚(いいづか)宿(現小山市)へ一里半余、楡木(にれぎ)宿(現鹿沼市)へ二里半余。南から北上した街道は壬生城の東を通り、城を抱え囲むように西に折れ、北に抜けていく。南が表(おもて)町、続いて通(とおり)町。元和二年(一六一六)から同三年にかけての日光東照宮造立の際に、人足・資材など壬生通を利用して運ばれ、この頃宿としての機能を備えたと考えられる。元和三年の二代将軍秀忠以来、寛文三年(一六六三)四代将軍家綱までの日光社参には壬生通が利用されることが多く、壬生城が将軍の宿城になるなど、当宿は重要な位置を占めた(徳川実紀)。

元禄九年(一六九六)の壬生町助郷帳(高久宗文書)によれば、定助郷二四ヵ村・惣勤高一万一千九七石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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