日本歴史地名大系 「壬生通」の解説
壬生通
みぶどおり
日光街道
室町時代中期の連歌師宗長の「東路の津登」によれば、永正六年(一五〇九)八月後半、宗長は下野国に入り、佐野氏の館に滞在、壬生を経て鹿沼から日光へ入った。壬生から日光への道は、のちの壬生通・例幣使街道の古道にあたり、鎌倉街道の一つであったと推定される。鹿沼の壬生綱房の館に一泊し、「鹿沼より寺までは五十里の道。此ごろの雨に人馬の行かよひとをるべくもあらざりしにや」と記している。鹿沼の城下と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報