壬生本郷
みぶほんごう
[現在地名]壬生町壬生など
思川(小倉川)左岸に立地し、東部を黒川が南流、南部で両川が合流する。慶長七年(一六〇二)日根野吉明が一万九〇〇石で当地に入封。村域内に壬生城の城下町が建設され、壬生通壬生宿が設置されると壬生町は宿場町としても発展する。しかし壬生町の支配は名主・年寄らの村方役人によって行われ、村として位置付けられていた。北西に下稲葉村、北に福和田村、東に黒川を隔てて藤井村がある。古くは上の原と称したといい、壬生城下表町の上ノ原観音堂、上原山豊栖院にその名残を伝える。慶安郷帳(東野地誌本)に壬生本村とあり、高二千一二一石余のうち田六一石余・畑二千六〇石余であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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