日本歴史地名大系 「多古村」の解説
多古村
たこむら
〔中世〕
在地領主としては千葉氏系の千田(多古)・円城寺・牛尾の諸氏が知られる。南北朝期、千田庄内には千葉胤貞系の千田氏が勢力を張っていたが、松蘿館本千葉系図には胤貞の孫にあたる胤氏に「多古」との脚注があり、その子孫は千田氏を称している。延文五年(一三六〇)一一月二九日の千葉胤継寄進状案(浄光院文書)に「千田庄多古村内泉公堂免并跡田畠」とみえ、同六年一一月二日の日胤譲状(同文書)には「原郷内多古村和泉公堂免田五反畠一反在家一宇」とある。これらの所領は中山法華経寺三世日祐の代官である日高が千葉胤継(胤貞庶子)から相続したもので、改めて法華経寺への寄進地として日高から貫首日祐に譲与された。当地の
多古村
たこむら
- 神奈川県:小田原市
- 多古村
北東で
寛喜二年(一二三〇)閏一月一四日の山内首藤重俊譲状(県史一)に「在管相模国足下郡早河庄内一得名田并在家事」のうち「田子往古本屋敷一所」とあり、また建長元年(一二四九)八月二一日の沙弥深念(山内首藤宗俊)譲状(同書)にも「早河庄田子郷」がみえ、郷内一得名内の田地・屋敷・在家が重俊から宗俊、宗俊から時俊に譲られている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報