多古村(読み)たこむら

日本歴史地名大系 「多古村」の解説

多古村
たこむら

[現在地名]多古町多古

現多古町の中央部南寄りにあり、栗山くりやま川の右岸に位置する。北は井戸山いどやま村、西は染井そめい村、南はしま村、東は南中みなみなか村。村の東西を八日市場と佐倉を結ぶ道が貫き、南北を横芝よこしばと佐原を結ぶ道が交差し、古くから交通の要衝であった。中世は千田ちだはら郷に含まれた。江戸時代には多古藩の陣屋が置かれ、当時から周辺地区の行政・経済の中心地であった。

〔中世〕

在地領主としては千葉氏系の千田(多古)・円城寺・牛尾の諸氏が知られる。南北朝期、千田庄内には千葉胤貞系の千田氏が勢力を張っていたが、松蘿館本千葉系図には胤貞の孫にあたる胤氏に「多古」との脚注があり、その子孫は千田氏を称している。延文五年(一三六〇)一一月二九日の千葉胤継寄進状案(浄光院文書)に「千田庄多古村内泉公堂免并跡田畠」とみえ、同六年一一月二日の日胤譲状(同文書)には「原郷内多古村和泉公堂免田五反畠一反在家一宇」とある。これらの所領は中山法華経寺三世日祐の代官である日高が千葉胤継(胤貞庶子)から相続したもので、改めて法華経寺への寄進地として日高から貫首日祐に譲与された。当地の妙光みようこう寺にある日蓮坐像の永和二年(一三七六)二月二五日の胎内墨書銘には「千田庄多古村妙光寺」とあり、外護者として「円城寺図書左衛門尉源胤朝」「平氏女図書(悲)母」が記され、当地周辺に円城寺氏の所領があったものと推測される。


多古村
たこむら

[現在地名]小田原市多古・おうぎ町二―六丁目

北東でかり川を合流して酒匂さかわ川が東端を流れ、久野くの川が西南境を流れる。西は穴部あなべ村、南は井細田いさいだ村、北は蓮正寺れんしようじ村と接する。甲州道が中央を南北に通り、村中で大山道が分れ、酒匂川対岸の飯泉いいずみ村に通じる。同村との間には冬春は土橋が架けられ、五月初旬から九月中旬は渡しが設けられた(風土記稿)

寛喜二年(一二三〇)閏一月一四日の山内首藤重俊譲状(県史一)に「在管相模国足下郡早河庄内一得名田并在家事」のうち「田子往古本屋敷一所」とあり、また建長元年(一二四九)八月二一日の沙弥深念(山内首藤宗俊)譲状(同書)にも「早河庄田子郷」がみえ、郷内一得名内の田地・屋敷・在家が重俊から宗俊、宗俊から時俊に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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