多岐郷(読み)たきごう

日本歴史地名大系 「多岐郷」の解説

多岐郷
たきごう

南北朝期からみえる郷名。出雲国神門かんど郡に属する。現多伎町久村くむら・多岐・小田おだ地域に比定される。京都浄蓮華じようれんげ(現京都市左京区)上人宛の建武三年(一三三六)九月五日の光厳上皇院宣案(下郷共済会所蔵文書)に「出雲国多伎郷事」とあり、一四世紀前半の多岐郷の領家は浄蓮華院であったと推定される。しかし当郷はすでに鎌倉初期から神西新じんざいしん庄に組込まれており、承久の乱後は東国御家人の古荘高通が地頭に補任され、以後代々古荘氏が地頭職を引継いでいった(貞応二年一一月二日「関東下知状」萩野由之氏所蔵文書など)。鎌倉末期から南北朝期に至って、神西新庄は稲頼いなより庄の成立により、稲頼庄・多岐郷・田儀たぎの三つに分れ、それぞれの地頭職は一族に分与されたらしい。


多岐郷
たきごう

和名抄」諸本は訓を欠く。「延喜式」神名帳は「多岐タタイノ神社」を載せる。「大日本史国郡志」は「今刈羽郡別山村有多岐社、即古郷之域也」とする。「日本地理志料」は「延喜式」兵部省の北陸道多太たた駅は多岐の誤りで当郷に置かれたとし、多岐神社の比定地から別山べつやま灰爪はいづめ鎌田かまた大崎おおさき大津おおづ石地いしじ(現刈羽郡西山町)一帯にあてる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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