日本歴史地名大系 「多気城跡」の解説 多気城跡たけじようあと 茨城県:筑波郡筑波町北条村多気城跡[現在地名]筑波町北条 城山多気山に残る城郭遺構。多気山は標高一二九・四メートルで、城(じよう)山ともいい、北は筑波山、東南は小田(おだ)城、西は小泉(こいずみ)館、さらに桜川を隔てて田中(たなか)城などに対する。石川系図・常陸大掾系図によれば常陸平氏本宗の平維幹は多気大夫・水漏大夫と称しており、常陸大掾系図によれば本宗は維幹・為幹・繁幹・多気権守致幹・多気太郎直幹・太郎義幹と継承されているので、維幹が多気城を築いたとも考えられ、致幹以降に多気を本拠地として多気氏を名乗った。 多気城跡たげじようあと 栃木県:宇都宮市田下村多気城跡[現在地名]宇都宮市田下町標高三七六・九メートルの多気山の地形を利用して築かれた中世の山城。山頂の北と西に土塁を築いて本丸を置き、尾根筋に多くの郭が設けられている。多気山城ともいう。文明四年(一四七二)に宇都宮氏家臣多気兵庫守が居住したという(宇都宮家臣記)。「宇都宮興廃記」に「天文十七年九月下旬、北条安房守氏邦、秩父鉢形寄居等ヲ随ヒ、八千余騎ニテ宇都宮ヘ攻寄、城下ヲ放火シ、多気ノ城ヘ攻寄ル、宇都宮ノ諸将馳向テ防戦ヒツヽ数度取合、剰宇都宮明神ヲ焼上シ故、仮ニ多気山ニ城郭ヲ構ヒ、楯籠リ防戦シタルナリ」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by