日本歴史地名大系 「田下村」の解説 田下村たげむら 栃木県:宇都宮市田下村[現在地名]宇都宮市田下町東は荒針(あらはり)村、南は田野(たの)村。多気(たげ)山東部にあり、西・南・北の三面は山地、東方だけが平坦で耕地が開ける。天正四年(一五七六)宇都宮国綱は鹿沼の壬生徳雪斎を攻めるための出城を多気山に築くことを決意し、二月三日より普請を始め二五日に完成した。四方の千渡(せんど)(現鹿沼市)・福岡(ふくおか)・田野、多気の荒九鬼(あらくき)の支城に家臣を置き、三月二日、二千六三〇余騎の家臣を率いて多気城に入った。 田下村たげむら 茨城県:結城郡千代川村田下村[現在地名]千代川村田下鬼怒(きぬ)川東方に位置し、西は下栗(しもぐり)村。下妻街道・江連(えづれ)用水に沿った村で、街道・用水の西に集まった古い農家は「田下七軒」といわれた。「和名抄」豊田(とよだ)郡の手向(たむけ)郷、「吾妻鏡」寛元四年(一二四六)一二月二九日条に「左馬権頭入道昇蓮与上野入道日阿相論下総国松岡庄田久安両郷所務」とある田久(たぐ)郷はいずれも当村付近を示すものと考えられる(→豊田庄)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by