朝日日本歴史人物事典 「多治比池守」の解説
多治比池守
生年:生年不詳
8世紀前半の公卿。丹比池守とも書く。嶋の第1子。持統7(693)年,直広肆(従五位下相当)を授けられ,貴族官人としての経歴が始まった。和銅1(708)年造平城宮司長官,次いで左京大夫となり,平城宮の造営,平城京の整備に従事した。霊亀1(715)年大宰帥に就任し,その善政を褒められて賜物に与っている。その後,中納言,大納言として政治の中枢に参与し,神亀4(727)年百官を率いて聖武天皇と光明子との間に生まれた皇太子に拝謁した。長屋王の変(729)の際には長屋王の窮問に当たっており,藤原氏寄りの立場をとっていたかと思われる。
(森公章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報