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張説 ちょうえつZhang Yue

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張説
ちょうえつ
Zhang Yue

[生]乾封2 (667)
[没]開元18 (730)
中国,唐の政治家,文学者。「ちょうせつ」とも読む。洛陽(河南省)の人。字は道済,説之。垂拱4(688)年進士に及第。則天武后に登用され鳳閣舎人となった。のち張易之のために欽州(広東省)に流されたが,中宗の朝廷に兵部員外郎として呼び戻され,睿宗(えいそう),玄宗に信任されて中書令にまで進み,燕国公に封ぜられた。その後門閥官僚との対立などで失脚,復活を繰り返したが,最後に尚書左丞相として没した。詩文に優れ,宮廷詩人として歴朝の指導的地位にあり,文章は許国公蘇頲と並んで「燕許大手筆」といわれた。詩文集『張説之文集』。

張説
ちょうせつ

張説」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐えつ〔チヤウ‐〕【張説】

[667~730]中国、初唐盛唐期の詩人、玄宗朝初期の宰相洛陽河南省)の人。字(あざな)は道済、また説之(えつし)。力強い盛詩風を開いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうえつ【張説 Zhāng Yuè】

667‐730
中国,初唐から盛唐にかけての政治家,詩人。字は道済,あるいは説之。洛陽の人。微賤な家柄の出だが,中書令,左丞相などの要職を歴任し,燕国公に封ぜられた。許国公の蘇(そてい)とともに〈燕許の大手筆〉とうたわれるほどの文章の大家で,当時の詔勅は多く彼の手に成るという。宮廷詩人の一人だが,五言律詩〈還(かえ)りて端州の駅に至る 前に高六と別れし処なり〉など自己の感情を率直に歌う詩風は,杜甫をはじめ盛唐の詩人の先駆となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張説
ちょうえつ
(667―730)

中国、唐玄宗(げんそう)朝の宰相、詩人。洛陽(らくよう)(河南省洛陽市)の人。字(あざな)は説之(えつし)、または道済(どうさい)。諡(おくりな)は文貞。688年(垂拱4)詞標文苑(ぶんえん)科に及第。太子校書郎から鳳閣舎人(ほうかくしゃじん)となったが、権臣張易之(ちょうえきし)に逆らい、欽州(きんしゅう)(広東(カントン)省欽県)に流された。張易之の死後呼び返され、工部侍郎などを歴任。睿宗(えいそう)の即位後宰相となり、玄宗朝には燕(えん)国公に封ぜられた。のち門閥官僚と対立して左遷、罷免の処置を受けたが、そのつど復帰し、左丞相(さじょうしょう)に至って死んだ。文学者としても当時の文壇の指導的立場にあり、許国公の蘇(そてい)と並んで「燕許大手筆」と称された。『張説之文集』25巻がある。[斎藤 茂]
『『張説の伝記と文学』(『吉川幸次郎全集11』所収・1974・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の張説の言及

【大衍暦】より

…太陽運行の不等であることを考慮して,太陽の運行表を決め,計算には不等間隔二次差近似補間を用いるなど,画期的な暦法であった。727年に草稿ができたが一行は死亡し,張説(ちようえつ),陳玄景らの編訂によって暦術7編,略例1編,暦議10編が成立した。日本では763年(天平宝字7)8月から儀鳳暦に代わって施行され,856年(斉衡3)まで用いられた。…

※「張説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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