賈耽(読み)カタン(その他表記)Jiǎ Dān

デジタル大辞泉 「賈耽」の意味・読み・例文・類語

か‐たん【賈耽】

[730~805]中国政治家滄州・南皮(河北省)の人。あざなは敦詩。13年間宰相を務めた。地理学好み、「海内華夷図かいだいかいず」「古今郡国県道四夷述」などを残した。

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精選版 日本国語大辞典 「賈耽」の意味・読み・例文・類語

か‐たん【賈耽】

  1. 中国唐代の政治家、地理学者。宰相となり、国政に尽くした。縮尺約一五〇万分の一の地図「海内華夷図」や地誌「古今郡国県道四夷述」などを作成。(七三〇‐八〇五

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改訂新版 世界大百科事典 「賈耽」の意味・わかりやすい解説

賈耽 (かたん)
Jiǎ Dān
生没年:730-805

中国,唐代の政治家,地理学者。滄州南皮県(河北省)の人。字は敦詩。751年(天宝10)明経科に挙げられ,節度使を歴任し,そののち徳宗信任を得て13年間,宰相の位にあった。政治のかたわら地理学に興味を示し,《古今郡国県道四夷述》40巻など多くの地誌を著したが,いずれも現存しない。ただ《貞元十道録》は敦煌より断巻がみつかったほか《皇華四遠記》10巻は《新唐書》地理志が四方の諸外国に至る七つのルートについて記した部分の抄録をとどめる。広州から海路バグダードに至るルートの記述がイブン・フルダーズベの《道里および諸国記》,マスウーディーの《黄金の牧場と宝石の鉱山》と相応するなど,その史料的価値は高い。賈耽はつねに外国の使節や外国に使した中国人に会って,かの地の地理,風俗,物産等をたずねたといわれるが,彼の著作はこうして得た知識の結晶である。なお《海内華夷図》は当時の地名と古地名が朱墨で書きわけられていたほか,方眼図法のもとをひらいたものとして,地図学史上注目されているが,図の解説を含むとみられる《賈耽地図》10巻とともに現存しない。わずかに現存する石刻の《華夷図》によって原図おもかげをしのぶことができるだけである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賈耽」の意味・わかりやすい解説

賈耽
かたん
(730―805)

中国、唐代中期の政治家、地理学者。河北省清池の出身で、751年に進士に及第し、山東省臨清県の「尉(い)」(警察部)の長となり、その後、地方・中央諸官を歴任した。793年以来13年間にわたり宰相の地位を占め国政をつかさどった。また、地理学を好み、文献の読破はもちろん、外国からの使節や、外国へ派遣した使節から外国の事情を聴取し、801年には150万分の1の『海内華夷図(かいだいかいず)』や『古今郡国道県四夷(しい)述』をつくった。ほかに『国要図』(784)、『関中隴石(ろうせき)』『山南九州図』『黄河経界録』6巻(以上794)、『貞元(ていげん)十道録』(802)の著書がある。いずれも中国と外国を含む地図・地誌で、中国地理学史上に一時期を画した労作だったが、ほとんど散逸して現存しない。

[市川正巳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賈耽」の意味・わかりやすい解説

賈耽
かたん
Jia Dan; Chia Tan

[生]開元18(730)
[没]永貞1(805)
中国,唐の政治家,地理学者。滄州 (河北省) の人。字は敦詩。科挙に及第してのち,中央,地方の諸官を歴任し,晩年は宰相として国政に尽した。地理学を好み,『海内華夷図』と『古今郡国道縣四夷述』とを著わした。これは中国本土だけでなく,それ以外の地域をも含めた当時における世界地図,世界地誌で,きわめて信頼するに足るものであったといわれるが,惜しくも早く失われた。

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