中国,唐代の政治家,地理学者。滄州南皮県(河北省)の人。字は敦詩。751年(天宝10)明経科に挙げられ,節度使を歴任し,そののち徳宗の信任を得て13年間,宰相の位にあった。政治のかたわら地理学に興味を示し,《古今郡国県道四夷述》40巻など多くの地誌を著したが,いずれも現存しない。ただ《貞元十道録》は敦煌より断巻がみつかったほか《皇華四遠記》10巻は《新唐書》地理志が四方の諸外国に至る七つのルートについて記した部分の抄録をとどめる。広州から海路バグダードに至るルートの記述がイブン・フルダーズベの《道里および諸国記》,マスウーディーの《黄金の牧場と宝石の鉱山》と相応するなど,その史料的価値は高い。賈耽はつねに外国の使節や外国に使した中国人に会って,かの地の地理,風俗,物産等をたずねたといわれるが,彼の著作はこうして得た知識の結晶である。なお《海内華夷図》は当時の地名と古地名が朱墨で書きわけられていたほか,方眼図法のもとをひらいたものとして,地図学史上注目されているが,図の解説を含むとみられる《賈耽地図》10巻とともに現存しない。わずかに現存する石刻の《華夷図》によって原図のおもかげをしのぶことができるだけである。
執筆者:勝村 哲也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、唐代中期の政治家、地理学者。河北省清池の出身で、751年に進士に及第し、山東省臨清県の「尉(い)」(警察部)の長となり、その後、地方・中央の諸官を歴任した。793年以来13年間にわたり宰相の地位を占め国政をつかさどった。また、地理学を好み、文献の読破はもちろん、外国からの使節や、外国へ派遣した使節から外国の事情を聴取し、801年には150万分の1の『海内華夷図(かいだいかいず)』や『古今郡国道県四夷(しい)述』をつくった。ほかに『国要図』(784)、『関中隴石(ろうせき)』『山南九州図』『黄河経界録』6巻(以上794)、『貞元(ていげん)十道録』(802)の著書がある。いずれも中国と外国を含む地図・地誌で、中国地理学史上に一時期を画した労作だったが、ほとんど散逸して現存しない。
[市川正巳]
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