多田昌綱(読み)ただ・まさつな

朝日日本歴史人物事典 「多田昌綱」の解説

多田昌綱

没年:慶長10.1.20(1605.3.9)
生年永禄10(1567)
安土桃山時代武将。武田家に仕えた昌俊の子。通称三八郎。父の死後,外戚の土屋昌次に養育される。天正10(1582)年武田家の滅亡に際しては,徳川家康に属し本領を安堵された。以後小牧長久手の戦,信濃上田攻城戦,小田原攻城戦,九戸一揆鎮圧に参加,軍功を立てる。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では徳川秀忠の軍に属し,再度上田城を攻めた。翌6年からは家康の9男義直(尾張藩初代藩主)の守役を務めている。徳川家に仕えた武田遺臣は多いが,多田氏もそのひとつである。

(堀内亨)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田昌綱」の解説

多田昌綱 ただ-まさつな

1567-1605 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)10年生まれ。甲斐(かい)武田氏滅亡後徳川家康につかえ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,小田原攻めなどに従軍。家康の関東入国後,武蔵(むさし)鉢形(埼玉県)に所領をあたえられる。のち徳川義直の守役をつとめた。慶長10年1月20日死去。39歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android