多田親愛(読み)ただしんあい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「多田親愛」の意味・わかりやすい解説

多田親愛
ただしんあい
(1840―1905)

明治書家。雲亭、翠雲(すいうん)とも号す。東京芝の神明神宮の禰宜(ねぎ)(神主の下役)であったが、1870年(明治3)神祇(じんぎ)官に職を奉じ、大学出仕を命じられた。74年博物館属となり、94年まで在職。明治の書壇ではとくに上代様(じょうだいよう)の復興が唱えられたが、親愛もそれを推進した。その書風は、博物館在職中に平安時代書写になる『寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ)』(一巻、国宝東京国立博物館)に深く傾倒し、流麗にして気品に富む独自の和様を確立し、ことに仮名作家として小野鵞堂(がどう)と並び称せられた。門下に田中親美(しんび)、栗山(くりやま)善四郎らがいる。

[古谷 稔]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田親愛」の解説

多田親愛 ただ-しんあい

1840-1905 明治時代の書家。
天保(てんぽう)11年11月15日生まれ。江戸芝の神明宮神職であったが,明治3年神祇官(じんぎかん)につとめ,さらに大学出仕をへて博物局に勤務した。上代様(じょうだいよう)の書の復興を推進し,仮名書家として小野鵞堂(がどう)とならび称された。明治38年4月18日死去。66歳。江戸出身。号は雲亭,翠雲。

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朝日日本歴史人物事典 「多田親愛」の解説

多田親愛

没年:明治38.4.18(1905)
生年:天保11(1840)
江戸末期から明治にかけて活躍した書家。江戸芝の生まれ。もと芝神明宮の神主。明治になって,神祇官,さらに大学,博物局(東京国立博物館の前身)などに勤めた。仮名書道の古典研究会である難波津会の中心的な会員として,仮名書道の上代様(平安時代の和様の書風)復帰を推進した。

(島谷弘幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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