大中山村(読み)おおなかやまむら

日本歴史地名大系 「大中山村」の解説

大中山村
おおなかやまむら

[現在地名]和気町大中山

初瀬はつせ川と片上かたかみ往来南北に通る衣笠きぬがさ(二五〇・九メートル)の南の小盆地にある。東の閑谷しずたに新田(現備前市)、西の奥吉原おくよしわら(現赤磐郡熊山町)と山塊をもって接し、南は清水しみず村。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に村名がみえ、物成一三五石余、夫米八石余。寛永備前国絵図によれば高二七六石余。「備前記」に枝村として福尾・富山が載る。「備陽記」によると田畑三五町一反余、家数一〇九・人数七三二。

大中山村
おおなかやまむら

明治一二年(一八七九)から同三五年まで存続した村。明治一二年中島なかじま村と大川おおかわ村が合併して成立した。同年桔梗ききよう村戸長役場(現函館市)管轄となる(七飯町史)。同一四年大中山学校(のち大中山小学校)開業(「事業報告」第四編)。「共武政表」によると戸口は八五戸・四九六人。駄馬三二二・産馬二七。同一八年七飯戸長役場に所属(七飯町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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