小中山村(読み)こなかやまむら

日本歴史地名大系 「小中山村」の解説

小中山村
こなかやまむら

[現在地名]和気町福富ふくとみ

吉井川と金剛こんごう川との合流点の南の谷間にある。西は奥吉原おくよしわら(現赤磐郡熊山町)片上かたかみ往来が通る。天正一七年(一五八九)六月二七日の安養寺正税帳(安養寺文書)に「小中山」とみえ、作人として五郎右衛門尉の名がある。翌一八年八月の安養寺坪付(同文書)には、同地の五郎衛門・秋久の名がみえる。慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に本庄内として村名がみえ、物成一一〇石余、夫米六石余。寛永備前国絵図によれば高二一七石余。「備陽記」では田畑一八町四反余、家数三七・人数一八二。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると、直高二九六石余で家臣一名の給地。


小中山村
こなかやまむら

[現在地名]笹神村上小中山かみこなかやま

山寺やまでら村の北西にあり、西は大室おおむろ村、東は山田やまだ村、北は七浦ななうら村。正保国絵図に村名があり、村上藩領に属する。貞享元年(一六八四)郷村高辻帳では高三六石五斗余。その後、白河藩領となり、文化年間(一八〇四―一八)に成った「白川風土記」によると戸数七で、ひしヶ岳の流水を堰止めて用水とし、大野地おおやち(現水原町)大室村山寺村などとともに八ヵ村の堰組に属した。


小中山村
こなかやまむら

[現在地名]加治川村下小中山しもこなかやま

紫雲寺しうんじ潟の潟端にあり、北は坂町さかまち村、東は貝屋かいや村、南は貝塚かいづか村。正保国絵図に二四〇石余とあり、村上藩領。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では金山組に属し、延宝九年(一六八一)頃の高反別免割家数人数帳(寛政一二年写、新発田市史資料)には高四〇四石余・反別一九町六反余、家数二一・人数六一とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android