新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大久保徳二郎」の解説
大久保 徳二郎
オオクボ トクジロウ
- 職業
- ジャズ・サックス奏者 作曲家 編曲家
- 本名
- 大久保 徳治郎(オオクボ トクジロウ)
- 生年月日
- 明治41年 3月6日
- 出生地
- 東京市 本所区横綱町(東京都墨田区)
- 経歴
- 少年時代からクラリネットやアルトサックスに親しむ。大正12年の関東大震災を機に東京を離れ、関西に移り住む。宝塚音楽学校に学び、宝塚管弦楽団を経て、東京に戻って無声映画の楽士となった。この頃の楽士仲間にピアノの三界稔やバイオリンの黒柳守綱らがいた。無声映画が下火になるとジャズに魅せられてダンスホールでサックスを吹き、昭和8年日本コロムビアのジャズバンドに入団。12年テイチクの専属作曲家となり、13年ディック・ミネが歌った処女作「上海ブルース」が大ヒットした。同時期にディックが歌ったタンゴ調の「或る雨の午後」も代表曲の一つ。戦後は22年松竹の正月映画「地獄の顔」(大曽根辰保監督)の主題歌として書いたディック「夜霧のブルース」と、ディックと藤原千多歌「長崎エレジー」の2曲がヒットして復帰の口火を切った。38年東芝に移籍。ジャズ・アレンジャー、ブルース艶歌の先駆者とされ、マキノ雅弘監督の傑作ミュージカル「鴛鴦歌合戦」など、映画の音楽監督としても活躍した。他の作品にディック「雨の夜の喫茶店」、淡谷のり子「街角」、田端義夫「嘆きのピエロ」、田端・白鳥みずえ「親子舟唄」などがある。
- 没年月日
- 昭和49年 8月19日 (1974年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報