大久保藤五郎(読み)おおくぼ・とうごろう

朝日日本歴史人物事典 「大久保藤五郎」の解説

大久保藤五郎

没年:元和3(1617)
生年:生年不詳
江戸初期の上水開削者。名は忠行。宇津忠茂の5男。三河譜代の徳川氏の家臣永禄6(1563)年三河の一向一揆の際,負傷して歩行不自由になったという。『天正日記』によると天正18(1590)年7月12日,徳川家康の関東入国に先立ち,江戸の水道治水を命ぜられ,江戸西郊の井ノ頭池(東京都三鷹市)を水源とし,諸川を合流しながら,小石川(文京区)から神田小川町(千代田区)辺りまで流れる小石川上水を開削した。その功により,家康から「主水」を名乗ることを許され,水が濁ることを嫌い「モント」と発音するように命ぜられる。この小石川上水がのちの神田上水原型である。藤五郎は菓子の調製が上手で三河餅や主水菓子をつくり献上した。没後,知行300石が収公され,子孫は町屋敷を与えられて,幕府御用達の菓子司を勤めた。<参考文献>『東京百年史』1巻

(村上直)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保藤五郎」の解説

大久保藤五郎 おおくぼ-とうごろう

?-1617 戦国-江戸時代前期の武士,治水家。
徳川家康の家臣。永禄(えいろく)6年三河(愛知県)の一向一揆(いっき)との戦いで負傷し,歩行が不自由となる。家康に命じられ,奉行として江戸小石川上水(のちの神田上水)を完成させ主水(もんと)の名をあたえられた。菓子づくりでも知られ,製品は主水菓子とよばれた。元和(げんな)3年死去。三河(愛知県)出身。名は忠行。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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