朝日日本歴史人物事典 「大久保藤五郎」の解説
大久保藤五郎
生年:生年不詳
江戸初期の上水開削者。名は忠行。宇津忠茂の5男。三河譜代の徳川氏の家臣。永禄6(1563)年三河の一向一揆の際,負傷して歩行が不自由になったという。『天正日記』によると天正18(1590)年7月12日,徳川家康の関東入国に先立ち,江戸の水道治水を命ぜられ,江戸西郊の井ノ頭池(東京都三鷹市)を水源とし,諸川を合流しながら,小石川(文京区)から神田小川町(千代田区)辺りまで流れる小石川上水を開削した。その功により,家康から「主水」を名乗ることを許され,水が濁ることを嫌い「モント」と発音するように命ぜられる。この小石川上水がのちの神田上水の原型である。藤五郎は菓子の調製が上手で三河餅や主水菓子をつくり献上した。没後,知行300石が収公され,子孫は町屋敷を与えられて,幕府御用達の菓子司を勤めた。<参考文献>『東京百年史』1巻
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報